成田空港を軍事基地にするな

軍事空港論(1)

■反対同盟は結成の当初から「三里塚空港が建設されれば、軍事使用される」「軍事空港反対」をスローガンの1つにかかげて闘って来ました。「民間空港が軍事空港?」と少し変に感じられるかも知れませんが、これには理由があります。
■ひとつは日米安全保障条約の存在です。わたしたちは、三里塚空港計画がもたらされたとき、あちこちの空港や基地に見学に行きました。すぐとなりの茨城県百里基地にも行きました。そうした中で学んだことの1つが、日本の空港や港湾は、米軍から使用を申し込まれれば、安保条約の規定によって、断ることができないという、ひどい現実でした。
■実際、日本の大半の空港がいわゆる軍民共用なのです。千歳空港、小巻空港、福岡空港、那覇空港などが当時から有名でした。そして羽田空港にはベトナムの戦場との間を往復する米軍のチャーター便が多数往来していました。もっとも多い時には羽田の半数近くをこの米軍のチャーター便が占有していると言われていました。
■成田に新空港を造る理由が羽田空港の狭さ、ということでしたが、その理由の1つにこの米軍のチャーター便による占有があったのです。このように私たちは、空港というものと軍隊や戦争という問題が、密接にかかわっていることを知り、「成田空港の軍事使用反対」を打ち出したのです。
■北原鉱治事務局長の次のような証言があります。「闘争の初期に羽田空港の労働組合から誘いがあり、羽田空港の見学に行きました。現場の労働者が空港を案内してくれたのですが、駐機場にボーイング707が留まっている所に案内されました。よく見ると機体に弾痕がついていたのです。案内の労働者は、『ベトナムから戻って来たばかりなんですよ』と説明してくれました。あの現実を見て驚き、三里塚に帰って役員会に図り、『軍事使用反対のスローガンをかかげよう』と提案し、了承されました」
■それ以来、約40年になりますが、私たちの懸念していた軍事使用の方向に事態は向かっています。反戦・反権力の砦を自負する私たちは成田の軍事使用、軍事基地化を許さず闘います。(つづく)

  

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