〔第42話〕空港内の労働者の皆さんと(投稿)

 底冷えのする1月のある雨の日、航空労組で長年活動されてきた方の話を聞く機会にめぐりあうことができました。

 これまであまり航空労働者の闘い知る機会がなかったので、航空輸送産業の誕生から発展、その中での労働運動の歩みについての話はいろいろと興味深く、新鮮なものでした。
 印象的だったのは、わずか8名の組合が836名の第2組合を吸収・獲得してしまった話。第2組合だからといって相手にしないのではなく、原則を曲げず闘いながら、丁寧にねばり強く働きかけて、それが可能になったということです。
 それ以上に驚いたことは、同じ運輸労働者ということもあるでしょうが、反対同盟が車の両輪として闘う、動労千葉の闘いに通じる話が実に多かったことです。一人の首切りも許さないために団結して闘うことはもちろんですが、航空会社の利益優先に対して、あくまでも安全第一を掲げて闘い抜いてきたというお話は、動労千葉の「闘いなくして安全なし」「反合理化・運転保安闘争」を思い起こしました。安全のための闘いは、1971年の自衛隊と民間機の衝突という雫石事故を機に、「軍事優先から民間航空の安全優先」を求めて、軍事利用反対の闘いに発展することになります。
 しかし80年代から新自由主義による労組破壊が激しくなり、今では航空労働者も、闘わない既成指導部のもと、リストラ、賃下げ、非正規雇用の攻撃にさらされています。
 そうした航空労働者の現状を見ると、空港絶対反対で闘う農民と、空港に勤める労働者は一見、水と油のように見えますが、それは違う、敵は同じなんだ、そう確信できるようになりました。結局は大資本の利益追求のために、労働者は農民が犠牲にされているのです。
 「安全を無視した暫定滑走路は即時閉鎖しろ」「米軍、自衛隊による成田空港の軍事使用絶対反対」共に闘うスローガンはいくらでもあります。 
 反対同盟が「動労千葉のように闘おう。私たちと共に闘おう」と呼びかけて、空港内の労働者と労農連帯を築くことは必ずできる、そう思います。(P)

  

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