●市東耕作権裁判・第7回弁論で、裁判長、空港会社を圧倒

――市東さん「これからは法廷でどしどし発言する」


記者会見・報告会であいさつする市東さん
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■5月19日、千葉地裁第405号法廷で、市東耕作権裁判の第7回弁論がおこなわれました。当日法廷では、市東孝雄さんが座る席を最前列に移し、「私がこの裁判の主役だ」という意志を鮮明にしました。

■公判は、終始反対同盟が主導を取って行われました。葉山弁護士が「空港会社側は反対闘争が激しくて、立ち会い・境界確認作業ができなかったと準備書面で書いているが、では、立ち会いも境界確認もなしでどうやって土地の範囲を確定したのか」という問題を中心に求釈明で会社側を追及しました。空港会社は、今にいたるも市東さんの耕作地を自ら特定した根拠も示せないのです。このような明け渡し要求などデタラメです。
■さらに今回の公判では、この畑の耕作の歴史が市東さんの側から明らかにされました。親子三代、90年耕作の歴史がまとめて述べられたのです。市東孝雄さんの祖父、市太郎さんは1927年からこの畑を耕作しています。荒地同様の牧場地を開墾し、豊かな農地に築き上げたのは市東家三代です。耕作の歴史の突き出しは、事実を持って空港会社の取り上げの不当性を暴いています。
■菅原裁判長も圧倒されている様子がありあり。これまでのような迅速裁判の訴訟指揮を取れません。逆に、口頭での即答を求める弁護団の求釈明に対して、裁判長自らが「文書での求釈明」を指示しました。このように、裁判長は求釈明の打ち切りを試みることができないところに追い詰められていました。次回は、9月1日午前10時30分からと期日指定がなされました。
■裁判終了後の報告会は、90名の結集で勝ち取られました。司会は、鈴木謙太郎さん。市東さんが決意を簡潔に表明しました。「ごくろうさまです。今日は、公団の条件派の土地買収のときのことを詳しく追求しました。開港30周年キャンペーンがなされています。権力は、力あるものが正義という姿勢。正しいものが正しいという時代でなくなっている。公判では、最前列に座りました。今日から、法廷で弁護士とともにおかしい点があれば、発言します。」
■葉山弁護士から本日の求釈明の解説がなされました。「空港会社が明け渡しを要求している市東さんの畑は、1町5反歩の一筆の土地の一部である。この土地の他の使用者や隣接者の境界の確認なしに空港公団は、土地買収をおこなった。したがって、『立会いも測量もしていない』のにどうしてそれぞれの畑の範囲を特定できるのか。この点を追求し、空港会社の畑の位置特定の誤りを明らかにする」と発言しました。
■さらに他の弁護士から、90年耕作の歴史が図を使って説明がされました。現在耕作している畑の主部分である4反7畝は1927年から耕作し、その他の部分も72年から耕作している事実を明らかにしました。
■報告会では、緊急報告として3・30組織対策法と公妨による三里塚支援団体に対する不当逮捕を糾弾する発言が弁護士からおこなわれました。
■質疑応答後、北原事務局長、市東さんの農地取り上げに反対する会・井村弘子さんをはじめとする支援者から決意の表明がなされました。
■北原事務局長は、「市東裁判は、中心に入りつつある。30年前、私は開港阻止闘争のときに逮捕され、今日(5月19日)出獄しました。空港は、いまだに完成のめどが立っていない。これは造る側に正義がないということだ。農地法は農地を守るため。それを反対に奪うために使うなど、とんでもない。日本の農業の在り方も変えられようとしている。黙っていてはダメだ。」と闘いを呼びかけた。
■「市東さんの会」代表の井村さんは、「市東さんは、日本の農業を守っている。一番大事なのは、農業、この農民を国が守っていない。農業は、あっちでやったり、向うでやれとかで出来るものでない。こんな勝手なことを言わせてはいけない。」と力のこもった訴え。
■引き続き、「動労千葉を支援する会」山本弘行さん、「関西実行委員会」松原康彦さん、「群馬」青柳晃玄さんから連帯の挨拶がおこなわれました。
■最後に、萩原事務局次長が「闘争スケジュールは詰まっているが、歯を食いしばってがんばる。勝たなければ正義にならない。市東さんの土地取上げは、三浦五郎さんが言っていたけど戦時徴発だ。これからの裁判では、全員退廷も決意して臨もう。法廷を取り囲む闘争を実現しよう。」と提起し、6・8現地闘争への結集を訴えました。次回9・1弁論闘争に集まろう。

  

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