4・23天神峰現闘本部裁判、仲戸川裁判長とNAAを圧倒する勝利かちとる

――「法廷を総決起集会の場にした」 北原事務局長、堂々3時間の証言、弁護団先頭に裁判長弾劾の意見陳述やりぬく

■4月23日の現闘本部裁判は、北原事務局長の3時間にわたる証言を先頭に、意気高く闘いとられました。仲戸川裁判長の結審策動を阻止し、成田空港会社も圧倒する画期的な弁論闘争として勝利しました。
■3月12日に仲戸川裁判長は、反対同盟側3人の証人調べを取り消しましたが、反対同盟はただちに地裁前の連続的なビラまきと宣伝カーを使った仲戸川弾劾の宣伝活動に立ちあがりました。さらに3・29全国集会は3・12訴訟指揮の暴挙弾劾を大きなテーマとして画期的な成功をかちとりました。そして、弁護団が同盟側3人の証人を再請求するとともに、千葉地裁所長への抗議闘争などを展開しました。
■その結果、3月31日、仲戸川裁判長は証人取り消しを撤回しましたが、しかし、証言時間を大幅に削る方針を打ち出していました(当初2日間だったものを1日に縮めた)。これに対しても弁護団は、4月14日、証言時間の復元と弁論冒頭での30分の意見陳述を要求。仲戸川裁判長はついに4月20日、証言時間短縮についても撤回する回答を余儀なくされたのです。

■こうした勝利の上にかちとられたこの日の弁論は、最初から千葉地裁、空港会社を圧倒するものでした。冒頭、弁護団が30分にわたりこの間の訴訟指揮に対する抗議の意見陳述を行いました。5人の弁護士が代わる代わる仲戸川裁判長に対し「法律家として恥ずかしくないのか」「千葉地裁の見識を疑う」との激しい言葉で「謝罪」を迫りました。70席の傍聴席を埋めた傍聴団からも呼応した激しい弾劾の声があいつぎました。報告会で萩原進事務局次長はこの状況を「法廷を総決起集会の場に転化した」と表現したのです。

■北原事務局長の証言が、午前と午後にわたって行なわれました。北原事務局長は、戦争体験の陳述から始め、富里・八街空港案から三里塚への空港の突然の変更、当時、羽田空港に見学に行って、米軍のチャーター便に占拠された「民間空港」の実態をつぶさに認識したことなどを語りました。そして、1966年の天神峰現闘本部の建設の経緯を詳細に説明。同盟員の材木のカンパで建てられたこと、同盟員の大工たちが勤労奉仕で建物を作ったことを明らかにし、さらに、石橋政次が1982年に除名処分になった後に石橋と接触する機会があり、その石橋から「現闘本部の土地は反対同盟に残したものだ」「何に使ってもらってもかまわない」との約束を交わしていたことなどを詳細に述べました。
反対同盟の地上権の存在が北原証言によって改めて証明されたのです。
■弁護団は裁判長に、3月12日に尋問できなかった「石橋恵美子、法理哲二証人(NAA)の再喚問」と現闘本部の実地検証を強く要求しました。
■北原事務局長を先頭とした反対同盟、弁護団、傍聴団の迫力の前に、空港会社は反対尋問を行うことすらできませんでした。

■記者会見・報告会が千葉県弁護士会館で行われました。傍聴闘争を闘った労農学の仲間の顔は皆、勝利感に満ちていました。最初に北原事務局長があいさつ。「私が言いたいことの10分の1くらいは言えた。弁護団の追及はすばらしかった。あとは(6月25日に)萩原進、元永修二さんに証言をしっかりやってもらいたい」

■弁護士5人が一言ずつあいさつ。その後動労千葉の後藤俊哉さん、関西実行委の永井満代表、群馬の青柳晃玄さん、福岡築港日雇労働組合が次々に発言、「すばらしい勝利だ」「もっともっと団結を深め、労農連帯で闘おう」と呼びかけました。
■最後に萩原事務局次長が「すばらしい勝利だが攻撃も激しさを増している」と新誘導路の7月前倒し供用開始の攻撃がかけられていることを暴露し、「10月にむけてさらにいっそう力を蓄えよう」と提起しました。5・11市東さん耕作権裁判、5・14鈴木さん一坪裁判へ。そして6月25日の現闘本部裁判・萩原証言に駆けつけよう。仲戸川裁判長に石橋恵美子、法理哲二の再喚問を行なわせ、本部建物の実地検証をかちとろう。
 

  

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