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中野前委員長の闘いは三里塚に生きている

  • Posted by: doumei
  • 2010年4月11日 23:11

p100411_1.jpg 4月10日、千葉県労働者福祉センターで、動労千葉の中野洋前委員長・常任顧問の追悼集会及び偲(しの)ぶ会が開催され、反対同盟から萩原進事務局次長、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん、宮本麻子さんが参加しました。
 大ホールから参加者があふれかえる盛大な集まりの中で、各界からの故人への追悼の言葉が述べられました。また、主催者あいさつをおこなった田中康宏動労千葉委員長の「国鉄分割・民営化の問題は何も終わっていない。中野顧問が築き上げてきた闘いを引き継いで闘う」という決意をはじめ、中野前委員長の遺志を受け継いで闘う決意が、多くの発言者から述べられました。
 反対同盟からは、萩原進事務局次長が追悼の言葉を述べさせていただきました。

追悼の言葉(萩原進)

 まだ中野さんが亡くなられたこと、信じられない思いでいっぱいであります。自分にとっては兄貴のような存在として、つき合わせていただきました。
 彼はしっかり情勢認識をして、それを分析しながら、理論立てて、闘いぬいて、そしてしっかりと総括していった。自分は「そんなややこしいこと、やってられない。単純に現地で暴れ回ってればいい」ということだったんです。
 だけど「おい、進。おまえ、三里塚闘争ってのは百姓一揆じゃねえんだよ。一揆でバーンとやって終わらすんだったら、どこでもできんるだ。そうじゃねえんだよ。これは階級闘争で、ちゃんと人民を獲得して、そして勝つ。そして世の中を変えるんだ。そういう闘いをしなけりゃだめなんだ」 そう言われたんです。
 そしてもうひとつ。
 三里塚の闘いも社共の指導の下に始まり、誓願や嘆願やあるいは無抵抗の闘いとして始まったわけですけども、三派全学連を先頭に反戦派労働者が参加して、文字通り現地の農民と一体となった闘いが展開された。三里塚闘争の新たな質として登場した。そういう形を作り上げたのが彼であります。ですから今日まで43年、文字通り勝利的に闘いぬいてこられたわけです。

断固闘いぬいて勝利の大道を歩む

p100411_2.jpg 彼とは何度もぶつかりました。「どうしようもねえ奴だな、おめえは」と言いながらにらみあって、お互いうしろを向いたときにニヤッと笑ってね。まあ、いつでもわかり合えるというような関係として、今日まで来たわけです。
 彼が委員長から顧問になるときに、「週1回でいいから、三里塚に来てくれ。そして三里塚の大地と農業問題も見てもらいてえ」とお願いしたんです。三里塚の中で、もう一度英気を養っていただきたいという意味を含めて言ったわけですけども、残念ながら病魔に冒されるということになった。しかし、彼は死ぬまで情勢分析を本当に鋭くおこなって、「全国の労働者、決起せよ」と、檄を発してやってきたわけですね。私はまだ彼が亡くなったというふうに、思っておりません。彼はまだ三里塚の闘いの中に立っているし、我々に対して指導している。そういう思いの中で、闘いぬいていきたいと思います。三里塚の闘いに責任を持って、絶対に勝利すると。そのためには全国の人たちに呼びかけ、広範な部隊を引き連れて三里塚の野原を焼き尽くすような闘いを展開すると決意しております。
 今年は動労千葉も本当に厳しい闘いの中にいま、おかれている。われわれも支配階級の危機の中でかけられた、ものすごい攻撃の中にある。しかし、お互い切磋琢磨しながら断固闘いぬいて、一歩でも二歩でも勝利の大道を歩んでいったら必ず勝利できる、そういう年だと思うわけです。そのことにみんなが確信を持って闘いぬけば、彼の遺志も現実のものになると思う。
 ですから動労千葉の闘い、三里塚の闘い、お互い競い合って闘いぬいていこう。それをあらためてここで決意して、挨拶に代えたいと思います。

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