墨塗りは絶対に認められない!

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-6・26耕作権裁判(裁判内容)

 10時30分から千葉地裁601号法廷で開かれた裁判(内田博久裁判長)は、冒頭から弁護団の追及に次ぐ追及で始まりました。
 弁護団は、前回の法廷で問題にした「乙85号証」の墨塗り部分について、引き続き開示を徹底して要求しました。
 「乙85号証」は、2012年に下された文書提出命令によってNAAに提出させた数少ない書証の一つです。1970年当時の南台の農地について、小作者である根本、石橋、市東の三軒がそれぞれどこを耕作していたかという耕作状況を調査した図面入りの資料で、空港公団(NAAの前身)によって作成されたものです。
 2012年に提出された時、その一部が墨塗りにされていたたわけですが、市東さんの賃借地が図示されていて、それが現在の耕作場所と一致することから、市東さんにとっては決定的な証拠のひとつです。
 墨塗りそのものは5年前にすでになされていたことですが、それを今問題にしているのは、NAAが新たな主張を始めたからです。
 賃借場所をめぐるこの間の攻防で追いつめられた空港会社は、〝仮に41-9が当初からの賃借地と認められないとしても、「同意書」「確認書」で市東さんが合意をして、そこがあらたに賃借地になった〟という主張(予備的主張)をしてきました。
 そうなると、賃借地についての確定的な文書が存在していては都合が悪くなります。
 そこで、NAAにとってまったく不利なこの書類(乙85)について、「昭和45年(1970年)頃の耕作状況をもとに当初の耕作地を推測したもの」だと釈明し、その証拠価値を低め、自分たちが偽造した「同意書」「境界確認書」の添付図面の方が正しいなどと言い出しのだ。
 「乙85」をはじめ、開示させることのできた文書は、畑の位置特定の誤りの真実を明らかにするために、「用地に係わる交渉記録や報告書のすべてを法廷に出せ」と迫り、ようやく提出させた重要な文書です。開示させたときは一言もなかった「推測論」を今になって言い出して、「乙85」は証拠の価値がないものだとする新たな主張を展開しはじめたわけです。もちろん、開示させたときから墨塗りは問題にしていましたが、NAAがそう言うのなら、なおさら墨塗りを認めるわけにはいかないではないですか。

●弾劾・追及・怒号の嵐!

 ところが、開示しない理由を問われてNAAの代理人は、「文書提出命令の時にすでに述べた。墨塗りは裁判所から言われたもの」と責任のがれに走りました。
 内田裁判長は、「乙85」が文書提出された経過をおさらいして「開示問題はすでに決着済み」という態度を示し、「これ以上の開示は求めない」と繰り返すばかりです。墨塗り部分も「市東さんの賃借地の主張とは関係ないことが書いてあると(当時の白石裁判長が)判断した」と繰り返します。
 とんでもない話です。過去のことを蒸し返しているのではありません。新たな主張をしてきたのだから、あらためてきちんと精査するのがスジです。すべて開示されて内容が分からなければ、まともに反論することもできません。こんなことがまかり通ったら裁判ではありません。

 「何を根拠に推測したのか」「スミ塗り部分を開示しなければ、分からない」と激しく迫る市東さんと弁護団。傍聴席からは「証拠隠しをやめろ!」「(内田裁判長は)自分自身も見てないくせに、どうして無関係と言えるのか!」「文書を開示できないなら、NAAは主張を引っ込めろ」など次々と声が上がりました。騒然とし続ける法廷で弁護団は、全面開示を求めて徹底追及を続けます。内田裁判長は「これ以上押し問答を繰り返しても」と暴言を吐きながら、必死に拒絶の繰り返し。弁護団は最後まで手を緩めず、あらためて書面で追及し、次回も引き続き徹底的に追及することになりました。
 
 裁判後に行われた報告会では、葉山岳夫弁護士が「乙85号証」を示し、墨塗りされた箇所を示しながら、「"推測したもの"などと言うのはとんでもないウソ。実際には公団の"用地買収交渉に伴う詳細な調査結果"として書かれている」と解説。開示を拒否するNAAと裁判長を徹底的に弾劾しました。
 さらに弁護団全員が発言。証人調べにもいたっていないのに、主張の整理を始めて終息に向かおうとする内田裁判長の姿勢を暴きながら、「そんなことは許さない。徹底的に追及を続ける」と決意を明らかにしました。
 次回期日は9月25日(月)、次々回は11月20日(月)です。墨塗り部分を絶対開示させるために、傍聴闘争でともにNAAを追及しましょう。

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