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沖縄と三里塚の合流を実現

  • Posted by: doumei
  • 2010年4月28日 23:59

――萩原進事務局次長と市東孝雄さんが4・25県民大会に参加

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p100425_12.jpg ついに、三里塚と沖縄の歴史的合流が実現しました。9万人以上が結集した「4・25米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還を求める県民大会」に萩原進事務局次長と市東孝雄さんが参加しました。 4月24日の午後6時過ぎ、沖縄に到着した2人はまず、那覇市内で行われた青年労働者・学生を中心とする交流会に出席、沖縄に連帯する三里塚の熱い思いを語りました。その後、読谷村のホテルに移動して関西実行委員会の永井満代表、山本善偉さんらと交流。

p100425_13.jpg 4月25日県民大会当日は、12時30分から2000枚のビラをもって、会場である読谷村運動広場前に陣取り、続々入場してくる人々に手渡しました。「普天間基地始め全ての米軍基地撤去」「決戦の三里塚から沖縄に連帯する」のゼッケンをつけ、「三里塚から来ました」「沖縄と連帯します」と声をかけながらビラを差し出すと、「5部下さい」「共にがんばりましょう」などと声がかかりました。

p100425_15.jpg 3時に大会が始まりました。会場は統一カラーに指定された黄色一色。萩原さんと市東さんも同盟旗を持ち、黄色いシャツとゼッケンで合流しました。共同代表の高峰県議会議長が、「これほど沖縄に米軍基地が集中しているのに、どうして普天間飛行場ひとつ返還できないのか!」という怒りの言葉。会場全体が呼応しました。
 そして、普天間基地のある宜野湾市の伊波洋一宜野湾市長、辺野古現地である名護市の稲峰市長、ホワイトビーチ移転案の現地であるうるま市の島袋市長が怒りの発言を行いました。中でも伊波市長は、戦後65年も沖縄にたくさんの基地を押しつけておくことは、「日米両政府の沖縄差別」だと弾劾、過去に政権交代した世界の国々で、政権交代後に新政権が駐留米軍を撤退させたのは、フィリピンやエクアドルなど、85%もあることを指摘、「米軍基地撤去は可能だ」と訴えました。仲井真知事や那覇市長など保守系首長も県民の怒りの大きさに参加せざるをえなかったのです。

p100425_14.jpg 最後に普天間高校の3年生の2人の女子高生・岡本かなさん、志喜屋成海さんが登壇し、授業と高校生活を破壊する基地被害弾劾の感動的な発言を行いました。「私たち一人ひとりが考えれば何かがかわる」「日本国民すべてが自分の問題として考えてほしい」と感情をこめて訴えました。
 大会決議、大会スローガンを採択して闘いを終了。宮古島、八重山諸島でも同時に県民大会が開催されていることが報告されました。大会が終了した午後4時30分を過ぎても国道58号線は大渋滞で、間に合わなかった参加者が多数でたとのことです。それでもアンテナに黄色いリボンをつけて走る自動車があちこちで確認されました。全県的な沖縄の怒りを象徴していました。

p100425_16.jpg 反対同盟はその後、彫刻家・金城実さんのアトリエで開かれた100人規模の交流会に参加しあいさつ。三里塚の決戦情勢を報告するとともに「沖縄と三里塚が一体となって勝利しよう」と訴え、大きな拍手をいただきました。

p100425_17.jpg 「こういう規模の結集を三里塚でも実現したことがあるんだから、必ず再現できるし、しなければならない」(萩原事務局次長)「とてもいい経験になった。基地撤去を求める沖縄県民の決起に感動した。三里塚で勝利できる自信が湧いてきた」(市東さん)と、充実感に満ちて大会参加の感想を語りながら、沖縄をあとにしました。

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