7・3集会-集会発言

 7・3三里塚50周年集会での発言内容を掲載します。
 なお、このテキストはお二人のご協力により、その場で書き起こしてくれたもの、直後に録音から起こしてくれたものです(Special thanks to Mさん&Aさん)。すぐにでも掲載できたのに、遅くなってしまい、申し訳ありません。正確性を期したものではありませんので、その点はご了解下さい。

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<<Mさんのテキスト>>

三里塚闘争50周年! これからも闘うぞ

 農地を守り、沖縄・福島とむすぶ7・3東京集会
三里塚芝山連合空港反対同盟
2016年7月3日(日) (於)すみだ産業会館ホール

映画「日本解放戦線 三里塚の夏」小川プロダクション 上映

DVD上映 「三里塚闘争不屈の50年」 (ダイジェスト版)

休憩

集会開会・司会 萩原富夫
 前半の司会。後半木内敦子さん。いよいよ50周年集会開始。興奮してます。盛り上げる為にパギヤンミニライブ。カンパで高い会場費賄えた。

主催者挨拶   市東孝雄 (北原メッセージ)
 北原さん居ないの残念。本集会にご参集の皆さん有り難う御座います。地元無視7・4閣議決定から50年。今も阻止している。国家権力と真っ向から対決してきた。3500人逮捕。数倍の人が傷つき倒れた。闘ってこれた事感謝。当時ベトナム戦争。羽田見学し反戦反基地で闘ってきた。安倍政権に危機感。子や孫の世代に惨禍を繰り返させてはいけない。市東さんの農地死守。療養中で参加できないのが残念。(市東)私も興奮してます。

ミニライブ   趙 博
 韓国民主化闘争の頃の曲を、日本は今民主化が必要だと思うので日本語に訳して数年前から歌っています。ヒットしたら印税生活したい。正義の為に監獄へ。小田実没9周年の集会昨日。いい人ってどうでも良い人。客によって歌を変えるのが芸人。核々死か慈か。

司会パギヤン巨人なんで高いんですよ。と言ってマイクの高さを下げる。
ゲスト・スピーカー   新崎 盛吾(新聞労連)
 今日は新聞労連委員長。共同通信記者休職。新聞労連委員長としては異例。一人の記者として。成田空港反対運動を新聞労連が支援している訳では無い。雑音。読売・産経も入っている。今回引き受けた理由。長年の記者生活三里塚に関わってきた転機。沖縄出身だから。沖縄と福島を繋ぐ。祖父母4人が沖縄出身、私は東京出生。対馬丸と同じ船団の別の船。沖縄も三里塚も地元無視されている点で同じ。父が都庁を辞めて沖縄大学に転職。復帰闘争。小学校では方言使っちゃ駄目よと言う。東京に出てきて沖縄に対する無理解。70年代。90年に共同通信入社91年から成田支局。2本目滑走路の買収。天神峰部落まだ存在。東峰から木の根まで7軒反対農家。千葉支局にも居たので県警担当として取材。北原派過激というか、最も活発に活動していた。用地問題。以降滑走路の用地買収どう進むのかがマスコミの関心。反対農家に取材。追っ払われたり、お酒飲んだり、野菜買ったり。一人一人の顔が見えてくる。熱田派・小川派でもそれぞれの思い。萩原進さん無くなってしまったがお酒飲んだ。萩原さんから言われた一言。お前いつまでここに居るんだ? ずっと居たら良いじゃ無いか。距離を知事めると色々な物が見えてくる。国交省発表だけでは無い記事を書いたつもり。どれだけ影響で来たか。那覇支局の思いも同じかな。此処の顔浮かぶ。東峰で毎年夏祭り、区長選挙。コミュニティー守っている。コミュニティーが高尚で少しずつ潰され。農家がバラバラになっていく。用地内島村・市東さんを守るという、外から見ていては分からない反対運動の強さ。99年から東京。警視庁公安部・国交省。でも成田の原体験を流ので変わらなかった。労働者の観点で労連委員長。立場で言いづらいけど、50年の歴史に敬意を表します。
司会。父が言ったけど僕は寂しい。記者も支援も2年くらいで転勤とか来なくなる。
            天笠 啓祐(市民バイオ研究所?)
 技術と人間という雑誌で反成田空港。雑誌72年創刊。当時何を取り上げようか。ポリシー。柱にする物は環境問題と並んで原発。72年から取り上げ続けた。92年にフリーに。チェルノブイリの時に反原発の拠点になった。今は福島。グローバリズム。遺伝子組み換え食品要らない。グローバリズムの中での三里塚って何だろう。閣議決定当時、高度成長期とは。農村から担い手を奪っていく時代。水俣病など公害農家でも農薬被害。健康を奪っていく時代。 空港などで農地を奪う。減反。農家に農業するなと言う政策に真っ向から対決してきた闘い。71年第1次強制代執行。アメリカでニクソン政権ブレーン、カーギルという穀物商社のウイリアム報告。中国に飛んでその後日中国交回復。アメリカがグローバリズムに打って出た時代。なんでこう言う報告が出てきたか。ベトナム敗戦。信用失墜・信用失墜・ドル失墜。70年代の農民運動の先頭に位置づけられた。大潟村など一つの象徴になっていた。80年代、旧ソ連アフガニスタン侵入が大きかった。アメリカが対ソ対共産圏への経済制裁。穀物輸出しないと転換。カーターからレーガンになり、巻き返し。ガットウルグアイラウンドで交渉進む。安倍政権に似ている当時の中曽根政権。戦後政治の総決算。前川はるお元日銀総裁。前川レポート83年。農業は日本に要らない。当時の日本のグローバリズムの象徴。農水省が変わった。農家と農協の方を向いている省庁から、企業との結び付きを強めていく。化学企業など。バイオテクノロジー。企業との繋がりを求めていく。グローバリズム、前川レポート。三里塚は政府にとって最も嫌な闘い。空港機能できない。政府から見たら嫌な奴ら。農業要らないのに農民の先頭で闘っていた。ほんとに嫌な奴WTO本格的グローバリズム。空港拡大問題が出てくる。日本政府にとっては邪魔。グローバル化が何をもたらしたか。食料農業の要が農家から企業・多国籍企業に変化。モンサントなど種子を握る物が支配。全会一致方式で中々進まないWTO。二国間交渉を先に進めた。FTA・EPA日本は自動車を最優先で売り込んだ。農作物は全部譲った。食料を買って自動車を売る。TPPが目指すのも自ずと見えてくる。最大の推進する要の位置。どういうことが起きるか。阻止しなければ成らない。農地を守っていく農業を守っていく。グローバル化要で有る空港問題で政府ののど元に合口を突きつけている。グローバル化がもう一つの側面として食の安全を奪ってきた。消費者の反乱。農家と消費者・市民・労働者の提携。三里塚TPPと闘う草の根。先頭に立っている三里塚に敬意。


三里塚・市東さんのたたかい 市東孝雄
 お疲れ様です。今日は本当はこんなに集まって、一杯来て貰って良かった。沖縄・福島を結ぶ50年。同盟の最初からの農地死守。改めて偉大なる闘い。私は3分の1くらいしか携わっていない。署名や裁判、援農助けられています。100年農家。空港作るから出て行けと言われている。出来ない。これからも皆様と共に天神峰で農業を続け、安倍政権をひっくり返す様な闘いを繰り広げたい。
 顧問弁護団葉山弁護士 結成1年後から弁護団事務局長として関わってきた。三里塚は現代のパリコンミューン。反対同盟農民は素晴らしい。動労千葉にも感謝したいと歴史学者の羽仁五郎が述べた。安倍政権との対決。無農薬の農地。市東さんの本人調べすら拒否した高裁判決。今最高裁。違憲の農民殺し。当時の空港公団市東東市さんに秘密で農地買収。裁判所に収容委の代わりを出来る訳が内。人民の闘い無くして公正な判決が出た事は無い。5万人署名。小林判決と矛盾生じている。暴力団の手口。耕作権裁判。正当な耕作地を不法耕作地だから明け渡せ等許せない。最高裁は明らかな矛盾を放置して判決を出す事は成らない。1円の補償も出さずにやらずぶったくり。安倍政権の戦争政策と一体の反対同盟潰しを跳ね返そう。
市東さんの農地取り上げに反対する会
 反対同盟・現地闘争団の皆さん、全国各地で闘う皆さんに敬意を表します。30年前産直の会。萩原進さんの本、戸村一作さんが提起した。具体化として三里塚闘争を闘う中で
生産者で有る農民と消費者で有る労働者がどの様な関係を作っていくのか。市東さんの農地取り上げに反対する会は発足から10年どうしたら闘えるのか。定期的に会報を出し、インタビューをだし裁判傍聴など。約300人で活動。市東さんの力にどれだけ慣れたか。裁判重要な局面。本の中に鈴木さん、市東さんと団結してもう一勝負したいと書かれていた。
国鉄千葉動力車労働組合田中委員長。反対同盟50年の闘いに心から敬意を表したい。動労千葉1960年動労千葉中野元委員長が千葉県反戦結成して以来。40年前のジェット燃料輸送阻止闘争が転機。岩山鉄塔の存在。パイプライン未完成で貨車輸送。岩山孤立した土地に14戸の反対同盟。切り崩された。燃料。全員が動労千葉組合員。当時動労本部との対立。大激論で年4回闘う地本。本部の言いなりにならない組合。本部は再登録命令。1400人の地本で400人結集、再登録命令粉砕。総評解散への道が始まっていた。燃料輸送阻止闘争が将来を決めた。本部は組織防衛の為に企業に協力。78年動労大会三里塚絶縁を強要。拒否して独立。この闘いで確信。三里塚との連帯が無ければ闘う組合では居られなかった。参院選。安倍政権が労働基本権をなぎ倒していこうとしている事と闘う力がある。動労千葉の闘いも父として進まないが、乗り越えたら変わる。労農連帯。団結した闘いが出来ると思う。JR体制打倒。下請けからも加入者続々。

全日本建設運輸連隊労働組合関西地区生コン支部 国家権力相手に50年も闘える。勝利するしか無い。関西においても全面的に支援したい。労組なのでどんな方法があるか。署名から。継承の為にどうしていくか。子供達の教科書見ていてビックリ。独党(竹島)何処の国が収奪したのかと答えさせる。洗脳教育。学校教育がそうなら、労働組合は真実を知らせていく。関生も50年。新しい会館を拠点に闘い勧めていく。関西でも労組・市民団体を中心に50周年事業を関西でも進めていく。

全国農民会議 農民の闘い。農民政策50年の話が先ほど有ったが、当時5~6百万、今200万以下。それを更に減らそうとしている。前川レポートで農業要らないと言うが、農民として生きていけるのかどうか。米大統領選、トランプがTPP脱退を主張。NFTAによりメキシコ農業が壊滅した結果。農民が本当に三里塚闘争に誰が見ても正義が、大義がある。共感できる。勝利の確信が有る。市東さんを守って全国で闘う。共同代表鈴木さん。いつも福島のいろんな現実に対してご支援有り難う御座います。原発事故が起きて初めて三里塚が当面している問題が分かった。如何にすさまじい人間としての存在があるか。これからも福島は戦い続ける。三里塚があるから福島も闘える。反対同盟があるから素晴らしい高いが生み出された。学びながらこれからも共に闘う。生きる為には食べないといけない。農民は誇りを持って土に? これからも頑張ります。

カンパ・アピール 宮本 麻子
 国家は意思を通す為に暴力で押し付けてくる。市東さんの農地を守る為に最高裁に上告1万3千の署名。裁判複数しています。50周年企画でお金も掛かっています。遠方の方、物品購入して貰った人も居ますが、支援をお願いします。朝鮮有事のための、戦争の為の滑走路は作らせない。反戦反核貫き闘っていく。

司会交代

沖縄・辺野古の海から    安次富 浩
 ヘリ基地反対協では無く、市東さんの農地を守る会沖縄での参加です。沖縄県議選知事与党が圧勝。公明党は県会では与党。公明党に期待しなくても翁長知事を支えられる県政。安倍政権もアメリカ政府もビックリしている。日米両政府に突きつけた。辺野古の問題20年前の4月12日だったと思うが、当時の橋本首相のモンデール駐日大使との約束で5~6年で返還。しかし20年たっても実現していない。ヘリポートの話が普天間基地そっくり移設になってしまった。辺野古を選らんだのはモンデールによると日本政府が決めたのであり、アメリカでは無い。名護市民投票の時下河辺がお金をばらまいた、宛てた手紙。大和に持って行ったら反対闘争が起こされてしまうので沖縄で良いんだと言う書簡出てきた。森本という軍事評論家防衛省出身。機能から言えば西日本に持って行った方が海兵隊にはベスト。だが反対運動が起きるから政治的に沖縄なんだ。こう言うこと。歴代日本政府がやって来たのがこう言うこと。鳩山が初めて対決したが、潰したのは民主党内も含む日本。沖縄は植民地的差別を受けている。構造的差別。日本政府による植民地的支配を受けている。アメリカによっても。つい先日悲惨な事件が起きました。ジョギング中の女性が元米海兵隊員の軍属がレイプ目的で拉致し殺してしまう。遺体をトランクに詰めて山原の山に放置。4月28日。因縁ですね。4・28。殺されたのは19日。3月末には沖縄に来た女性観光客が那覇市内のホテルで連れ込まれてレイプされている。綱紀粛正と言う事で隊員に命令しても何ら変わらない。米軍基地がある限りこれからも起きる。オール沖縄を校正する内、企業も米軍基地は要らないと言っている。伊波さん立てて闘っている。安倍政権の沖縄担当相である落とす事。意義が有る。福島の波枝町案内して貰った。ジャングルになっている。福島も現職法務大臣が候補。福島と沖縄で現職閣僚を落選させる事が安倍政権の打撃になる。三里塚の闘いを支えていく、市東さんの闘いを支えていく事を沖縄で作り上げている。安倍サタン政権と言う。キョトンとするけどキリスト者み失礼だけどアベマリアと全然違うでしょ。戦争政策を推進する安倍政権を打倒する。でないと沖縄問題は解決しない。関係ないと思うかも知れないけど、主権者である私たちが倒さないとこの政権が生き残っていく。島尻安以子、島売り安以子と読んでいる。県外移設と言っていたにもかかわらず恫喝にによって変わった。台所から政治を変えるというが貴方の台所は自衛隊の台所だろ。和解交渉は失敗するだろう。作業船は3月中旬に居なくなったけど、船を出して、再開されたら何時でも。闘いは続いている。20年間持続して、翁長さんが推進だったのに率先してノーと言っている。沖縄県民が支えている。翁長さん、翁長知事、支えながらオール沖縄で推進していく。有る企業は詩人研修として辺野古に座り込みさせている。此処が沖縄と大和との違い。アメリカにも民主主義だと言うけれど、突きつけていく。沖縄20年、三里塚50年。50年も闘いたくない。この2ねんか3年で勝ちたい。福島とも連帯して勝利するまで頑張りましょう。

金 治朗  サタンの話耳タコなんですが皆さんには新鮮かな。8万5千人天待った県民集会読谷村で開催。それがオール沖縄の始まり。県議会が決議。三里塚反対同盟の萩原さんや市東さんが来て交流会。読谷村で辺野古に繋がる面々。三里塚に関わって悪い事ばかりしている? どこどこ派とか入り口論議。市東さんの農地が取られると言う時に問題では無い。安次富・知花・金城共同代表。チャンプルー。6月23日慰霊の日、市東さんが毎年来てくれている。前半9時から安倍が来る時市東さん先頭に糾弾闘争。裁判所反動判決出した田宮、沖縄と三里塚が繋がった。反対同盟のチラシを撒き、署名集め。カヌー隊出発で市東さんが激励してくれた。辺野古の闘いは三里塚と結びついている。海の三里塚だ。毎日カヌー出して監視している。カヌーや船団の仲間が休みの時は嘉手納など監視闘争。名護市で勝手連作りました。心は一つ。辺野古の闘いを物心両面で支援してくれたカヌーを送る会の人有り難う御座います。沖縄だけでは勝てません。全国の仲間、三里塚の仲間、これからも共に闘っていきましょう。

 辺野古に行こうという運動をしている若者。東京で活動している中津。自分たちは辺野古の問題を関東の方から何とか出来ないかと集まって街頭アピールしています。私は琉球二世。父が沖縄戦経験。千葉でスイカを作って売っていた。三里塚の映画スイカが出てきたので聞いたら、年老いた父が三里塚と言った。市東さんの援農に行った。どんな人たちが居るんだろうと緊張していったが、感動しました。とても伸びやかで。もの凄いプレッシャーの中でしているんだろうけど、作業の中で轟音とタイヤの焼けるにおい。何かを隠す塀。沖縄の基地と重なった。フェンスが続いている。自分たちのささやかな生活を守っていく。次の世代に伝えるのが如何に大切か。目の前で繰り広げられている事に声を上げる事の大切さ。沖縄だけで無く三里塚でやられている事。援農している時に感じた事。自分は若造なので、まだまだですが続けていきましょう。

福島・反原発運動から    福島仮設住宅から・映像もコラボたまつくり? 趙博さんの活動場所でてんでんバラバラに活動。福島に行っているのも勝手。7年前に援農鈴木さんの家にお世話になった。土に触れて凄いなあ。野菜を運ぶ時、古川が福島にボランティア行った際に安全な食べ物をと言う事で提供して貰った。想いが結実した事で続けられている。今日来られなかった仮設の方、去年、避難区域で帰れないけど、米作りした。大阪の米屋で置いて貰い、放射能はかって貰った。玄米で2ベクレル、白米で1ベクレル、研いだら0.3ベクレル。食べられるんじゃ無いか? 個々の判断有りますが。桂村の人のモチベーションが上がった。戻るのは老人しか居ないんじゃ無いか。若い人は別の所に住んでいる。今年も田植えに行ってきた。出来た物を秋にちゃんと計った上で。農協に卸す時30キロ3500円を4000円から4500円で売る。5000円切ると農家は苦しい。福島の農家を潰すのか? 大阪の米屋で仕入れてきてる。原発危険だと行ってきたのに何も出来なかった。桂村に住むと言い出した人が居る。1500人の村が300人に減った。これからも野菜を届けて、田んぼや畑を耕して、10月からは大阪に米を運び続けたいと思います。空港が、櫓を見て、突然空から落ちてきたようだと言った。国策で土地を取り上げられる。敵は一つ。なんでこの国にいたぶられないといけないのか。原発反対・戦争反対。これからも趙さん含めて福島に市東さん・萩原さんの野菜を届けていきたい。

福島共同診療所・杉井吉彦
 福島に開院してから4年。圧倒的な国・県・医師会による「安全」キャンペーン。現在行われているのは帰還政策。15万の避難者、国の政策による避難したくても帰れない、帰りたくない。補助金打ち切りで帰るしか無い。チェルノブイリでも1ミリを20ミリの日本独自の基準。人体実験。安全でも安心でも無い。小児甲状腺ガンが急増。日本共産党民医連は大げさ診療所という。無理矢理高濃度汚染地域に帰らせて被曝させる。国策としての土地取り上げと国策としての爆発と同じ事。チェルノブイリでは5年後。健康を守るという事を真剣になって行う。大人も子供も長期被曝による問題。健康の為には避難であり、保養であり。三里塚と同じ。4年しか福島に居ないけど。野戦病院で数千人を守り抜いた支援。成田日赤などで待っているのかどうか? 闘争の中で、階級闘争の中で、何処で医療をするのかと言う気持ちが福島診療所には脈々と生き続けている。

佐藤 幸子
震災直後から皆さんと何度もお会いしています。福島は戦場になった。赤い炎が見えます。戦場から子供を避難させるのが始め。実際避難できる子は少ない。診療所作る事にしてどちらからもバッシングがあった。とどまれると思われると言う声、危険など無いと言うバッシングと。広島の助産婦さんにも絶対反対と言われた。予防の為の診療所と説明して納得して貰った。東京での集会に助産婦さん参加してくれた。異常出産が多い。三里塚や戦争の時のように血を流している目に見える被害とは違う。だから怖い。当時13歳の娘を山形に避難させた。高校卒業して国分寺に居を構え、18歳、選挙権得て、鈴木達夫さんのウグイス嬢した。市東さんの援農・辺野古の集会も行ってきた。将来を担わなければいけない若者が怯えているのが福島の現実。職場で同僚に警察に踏み込まれたらどうするんだと言われた。5年たっても来ていない。「日本の警察も甘いものだな」これからも福島と共に。

「50周年アピール」(集会宣言)萩原 富夫
同じ顔が出てきました。何役もしなくてはいけないので。まとめはアピールの中に出ています。午前中から長丁場だから読まなくて良い? みんな疲れているから。読まなきゃいけない。それじゃ読みます。(以下プログラム参照)

集会終了

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<<Aさんのテキスト>>

三里塚闘争50周年! これからも闘うぞ
 農地を守り、沖縄・福島とむすぶ7・3東京集会
三里塚芝山連合空港反対同盟
2016年7月3日(日) (於)すみだ産業会館ホール

映画「日本解放戦線 三里塚の夏」小川プロダクション 上映

DVD上映 「三里塚闘争不屈の50年」 (ダイジェスト版)

休憩

集会開会・司会 萩原富夫
 前半の司会。後半木内敦子さん。いよいよ50周年集会始まりました。わたし興奮してます。さらに盛り上げる為にパギヤンミニライブ。沢山の賛同とカンパで高い会場費賄うことができました。ありがとうございます。

主催者挨拶   市東孝雄 
 ここに北原さん居ないの残念でなりません。私が代読しますが、顔を浮かべながら聞いていただけたらありがたいと思います。
(北原メッセージ)
本集会にご参集の皆さん有り難う御座います。地元無視7・4閣議決定から50年。今も阻止している。国家権力と真っ向から対決してきた。3500人逮捕。数倍の人が傷つき倒れた。闘ってこれた事感謝。当時ベトナム戦争。羽田見学し反戦反基地で闘ってきた。安倍政権に危機感。子や孫の世代に惨禍を繰り返させてはいけない。市東さんの農地死守。療養中で参加できないのが残念。
(市東)私も萩原さんと同じで興奮ぎみです。

ミニライブ   趙 博
 韓国民主化闘争の頃の曲を、日本は今民主化が必要だと思うので日本語に訳して数年前から歌っています。ヒットしたら印税生活したい。正義の為に監獄へ。小田実没9周年の集会昨日。いい人ってどうでも良い人。客によって歌を変えるのが芸人。核々死か慈か。

司会 すっかり楽しんでしまいました。こんな楽しい三里塚集会は初めてです。楽しんでいきましょう。それではゲスト・スピーカーいきましょう。
ゲスト・スピーカー   新崎 盛吾(新聞労連)
 今日は。新聞労連委員長の新崎盛吾です。共同通信記者を長年やっていますが、記者は休職で、新聞労連の組合活動をやっています。新聞労連委員長としてこういう場で発言するのは異例です。今日は、成田にかかわってきた一記者として話をさせていただく。成田空港反対運動を新聞労連が支援している訳では無いです。なぜこんなことを言うかと言うと、ここに出るということが伝わるといろんなところから私のとこに雑音が入ってきました。新聞労連には読売・産経も入っていますから。なぜ、今回引き受けたということも含めてお話していければと思います。
 今回あいさつを引き受けた理由は二つあります。わたしが長年の記者生活のなかで三里塚に関わったことが転機だったからです。もう一つは私が沖縄出身だからです。「沖縄と福島を繋ぐ」と言う集会にその思いを強くしたわけです。祖父母4人が沖縄出身、私は東京出生。母は、2才で対馬丸と同じ船団の別の船に乗っていた。沖縄の人は、戦争の被害者と言うことがあって、一つ違えば自分もここにいなかったということを考える。三里塚も沖縄の人が開墾に入っているということで自分も関心があった。もう一つ、沖縄では米軍基地反対の運動が大きく起きています。国の政策が地元の意思を無視して押し付けられてきている。これは三里塚も同じ構図ですし、沖縄と結びつけるものです。
 わたしは67年に生まれて、71年に沖縄に移っている。父が都庁を辞めて沖縄学のため沖縄大学に転職、出身地に帰郷。当時は、復帰闘争。小学校では「方言使っちゃ駄目よ」と言う。東京に出てきて沖縄に対する無理解が70年代の状況です。
 もう一つは、90年に共同通信入社91年から成田支局。当時は2本目滑走路の買収、動きのある状況。天神峰部落まだ存在。東峰から木の根まで7軒反対農家。千葉支局にも居たので県警担当として取材。北原派は「過激」というと怒れますね、最も活発に活動していた。現地に来て、実際に取材を始める。平行滑走路の用地買収どう進むのかがマスコミの関心。反対農家に取材。追っ払われたり、お酒飲んだり、野菜買ったりお付き合いをしていく。すると一人一人の顔が見えてくる。なぜこの人が反対しているのか。熱田派・小川派でもそれぞれの思い、自分の土地を売りたくないというのは同じもの。萩原進さん亡くなってしまったがお酒飲んだ。萩原さんから言われた一言。「お前いつまでここに居るんだ? ずっと居たら良いじゃ無いか」と。距離を縮めると色々な物が見えてくる、何々派ということだけでなく。国交省発表だけでは無い記事を書いたつもり。どれだけ影響で来たか。那覇支局の思いも同じかな。
 もうひとつ、個々の農家の顔浮かぶということでは。東峰で毎年夏祭り、区長選挙。住民がコミュニティー守っている。コミュニティーが用地交渉で少しずつ潰され。農家がバラバラになっていく構図。用地内島村・市東さんを守るという、外から見ていては分からない反対運動の姿、強さをみた気がします。99年から東京。警視庁公安部・国交省担当、逆の側から見た。でも成田の体験は変わらなかった。このことが労働者の観点で労連委員長を引き受けることになったと思います。空港反対の是非は、労連の委員長の立場で言いづらいけど、三里塚闘争50年の歴史に敬意を表すということで私の発言にしたいと思います。
司会 ありがとうございます。いいお話でした。父が「お前いつまでいるんだ」と言ったけど、僕らとっては2・3年でいなくなるのは寂しいんです。記者も支援も2年くらいで転勤とか来なくなる。残されたものは銅なのと言う思いはあります。では次に、天笠さん

            天笠 啓祐(市民バイオ情報室?)
 私が三里塚に足を踏み入れたのが、67年。長いお付き合い。「技術と人間」という雑誌で反成田空港論を取上げた。最初に、雑誌72年創刊、当時何を取り上げようか。ポリシーとして柱にする物は環境問題と並んで原発、72年から取り上げ続けた。92年にフリーに。80年代に、チェルノブイリの時に反原発の運動の拠点になった。以降、三里塚、今は福島つながりのある。
 今、グローバリズムをとりあげています。遺伝子組み換え食品要らない。グローバリズムの中での三里塚って何だろう、と考えて見ました。閣議決定当時、どういう時代であったのか。高度成長期とはなんであったのか。農村から担い手を奪っていく時代であった。同時に、水俣病など公害、健康被害が広がった。農家でも農薬被害。高度成長とは、健康を奪っていく時代であった。それだけではなく、公共の名の下に土地が奪われていく。空港などで農地を奪われる時代。減反政策につながる。。三里塚は農家に農業するなと言う政策に真っ向から対決してきた闘い、そういう位置づけができる。
 71年第1次強制代執行の時代はどのようなものであったか。71年、アメリカでニクソン政権ブレーン、カーギルという穀物商社のウイリアムズ報告。これに基づいて、ニクソンが中国に飛んで、米中国交回復その後日中国交回復。これは何かと言うと、アメリカが従来の食料モンロー政策からグローバリズムに打って出た時代。なんでこう言う報告が出てきたか。ベトナム敗戦。信用失墜・信用失墜・ドル失墜。70年代の三里塚の闘いは、全国の農民運動の先頭に位置づけられた。福島潟・大潟村など、米価闘争などの農民闘争が巻き起こってきた。三里塚は一つの象徴になっていた。
 80年代、旧ソ連アフガニスタン侵入が大きかった。アメリカが対ソ対共産圏への経済制裁。穀物輸出しないと転換。アメリカで矛盾が一挙に高まった。そのためレーガン政権になり、巻き返しを図り、グローバリズムが進むのです。それがガットウルグアイラウンドで交渉進む。安倍政権に似ている当時の中曽根政権。戦後政治の総決算。前川はるお元日銀総裁。前川レポート83年。「農業は日本に要らない」といった。当時の日本のグローバリズムの象徴。農水省が変わった。農家と農協の方を向いている省庁から、企業との結び付きを強めていく。化学企業など。バイオテクノロジー。企業との繋がりを求めていく。グローバリズム、前川レポート。三里塚は政府にとって最も嫌な闘いであったとおもいます。何故かと言うと、空港機能できない。政府から見たら嫌な奴らとなる。「農業要らない」のに三里塚は農民の先頭で闘っていた。ほんとに嫌な奴
 90年代になると、WTO本格的グローバリズム。この時、空港拡大問題が出てくる。これと闘っているのだらか、三里塚は日本政府にとっては邪魔。グローバル化が何をもたらしたか。要は、食料農業の要が農家から企業・多国籍企業に変化。モンサントなど6割、種子を握る物が支配。全会一致方式で中々進まないWTO。そのため、二国間交渉を先に進めた。FTA・EPA日本は自動車を最優先で売り込んだ。農作物は全部譲った。食料を買って自動車を売る。この自由貿易協定の延長が、tppです。TPPが目指すのも自ずと見えてくる。最大の推進する要の位置。tppで、どういうことが起きるか。阻止しなければ成らない。農地を守っていく農業を守っていく。グローバル化要で有る空港問題で政府ののど元に合口を突きつけている。グローバル化がもう一つの側面として食の安全を奪ってきた。消費者の反乱。農家と消費者・市民・労働者の提携。三里塚TPPと闘う草の根。先頭に立っている三里塚の闘いに敬意を表するとともに、皆さんとともに進んでいきたい。

三里塚・市東さんのたたかい
市東孝雄
 お疲れ様です。今日は本当はこんなに集まって、皆さんの顔を見て、一杯来て貰って良かったとおもっています。沖縄・福島を結ぶ三里塚闘争50年。あらためて50年を考えてみますと、同盟の最初からの「農地死守・軍事空港反対」のスローガン、はじめから闘っているかたがたも今日来ていますが、偉大なる闘いだと思っています。私は3分の1くらいしか携わっていないが、この10年、皆様方の署名や裁判、援農お世話になっています。
 私は農業が好きです。生まれてから、土地を誰にも文句を言われず100年やってきた農家です。空港作るから出て行けと言われている。こういう攻撃がかかってきたのですが、それは絶対許されない。「農地は命だ」と。「耕すものに権利あり」、そのことをあらためて問いたいと思います。これからも皆様と共に天神峰で1日も長く農業を続け、反対運動を続け、安倍政権をひっくり返す様な闘いをまず三里塚現地から上げていきたいと思います。

 顧問弁護団・葉山岳夫弁護士
 わたしは結成1年後から弁護団に就任して、50年になりました。反対同盟が50年闘い続けていることは、歴史的にすばらしいことです。国家権力を総動員して、三里塚闘争をつぶしに来ましたが、「絶対反対・農地死守」で労農学連帯で今日まで闘ってきました。三里塚は、日々勝利していると思います。
 歴史学者の羽に五郎は「三里塚は現代のパリコンミューン。パリコミューンは50日間、三里塚はいまだに闘い続けている。反対同盟農民は素晴らしい。動労千葉にもお礼を言いたい」と賛辞を述べた。絶対反対で闘いつづけていることが勝利の証です。
 今、三里塚は正念場を迎えています。市東さんの農地決戦は、安倍政権との対決の中心的課題です。農地法裁判は、市東さんの本人調べすら拒否した高裁判決後、今最高裁です。違憲・違法の強制収用です。人民の闘い無くして公正な判決が出た事は無い。5万人署名と提出行動は重大です。安倍政権の戦争政策・改憲政策・労働法制改革と一体の農地収奪・反対同盟つぶしを絶対に粉砕しましょう。戦争を阻止するために鈴木達夫さんの参院選挙に勝利しましょう。

市東さんの農地取り上げに反対する会・小川正治
 反対同盟・現地闘争団の皆さん、全国各地で闘う皆さんに敬意を表します。産直の会を紹介します。30年前産直の会。萩原進さんの本の中でも、戸村一作さんが提起した農民問題、具体化として三里塚闘争を闘う中で農民と消費者との関係を見出していく。生産者で有る農民と消費者で有る労働者がどの様な関係を作っていくのか。
 市東さんの農地取り上げに反対する会は発足から10年になります。市東さんの思いにどうしたら闘えるのか。定期的に会報を出し、インタビューをだし裁判傍聴など。約500人で活動。市東さんの力にどれだけなれたか。裁判重要な局面。本の中に鈴木さん、「市東さんと団結してもう一勝負したい」と書かれていた。私たちも同じです。今まで以上に、一がんばり二がんばりします。

国鉄千葉動力車労働組合・田中康宏委員長。
反対同盟50年の闘いに心から敬意を表したい。動労千葉中野元委員長が千葉県反戦結成して以来、ともに闘い続けてきました。組織を挙げて闘うようになったのは、40年前のジェット燃料輸送阻止闘争が転機。開港のための二つの障害は、岩山大鉄塔の存在とパイプライン未完成のための貨車輸送。岩山孤立した土地に14戸の反対同盟。切り崩された。燃料輸送にかかわる乗務員全員が動労千葉組合員。当時動労本部との対立。大激論で年4回大会を開き闘う執行部ができた。本部の言いなりにならない組合。本部は再登録命令。1400人の地本で500人結集、再登録命令粉砕し燃料輸送を阻止することができた。闘う労働組合に脱皮をしていくということと燃料輸送阻止していくということが一つの問題として突きつけられていた。
 この74・75年から国鉄分割民営化に向かう流れ、総評解散への流れが始まっていた。空港反対との連帯との問題は、これからの労働運動を問う問題だということがはっきりしました。燃料輸送阻止闘争が将来を決めた。本部は組織防衛の為に企業に協力。78年動労大会三里塚絶縁を決定。千葉は拒否して独立。この闘いで確信。労働組合も国家権力と立ち向かうという立場があれば、精神は一つ。三里塚との連帯が無ければ、動労千葉は闘う組合では居られなかった。
 労働者は、安倍政権が労働基本権をなぎ倒していこうとしている事と闘う力がある。動労千葉の闘いも遅々として進まないが、これが我慢のしどころです。乗り越えたら変わる。労働者が、農民が団結した力を取り戻し労働運動を甦らせていく、労農が連帯し団結した闘いが出来ると思う。JR体制打倒。下請けの非正規からも加入者が続々出てきています。三里塚と連帯してこれからも進んでいきたいと思います。

全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部・西山直洋
 国家権力相手に50年間も闘える。これは、敢然勝利するしか無い。答えは見えています。わたしたちも関西においても全面的に支援・連帯したい。労組なのでどんな方法があるか。署名から取り組んでいる。この闘いを継承させていかなければならない。その為にどうしていくか。これなしに三里塚闘争の拡大も無いと思っています。
 今、子供達の教科書見ていてビックリ。独党(竹島)何処の国が収奪したのか、クイズみたいのが。洗脳教育。学校教育がそうなら、労働組合は真実を知らせていく。
 関生も50年。新しい会館を拠点に闘い勧めていく。関西でも労組・市民団体を中心に50周年事業を関西でも進めていく。

全国農民会議・小川浩共同代表
 三里塚は農民の闘いです。市東さんの土地が取られようとしていますが、同じ農民として何としても阻止していきたいと思います。
 私が農家になって50年、三里塚とともにあります。農民政策50年の話が先ほど有ったが、農民はどうであったのか。当時5~6百万、今200万以下、三分の一になりました。それをtppと安倍農政が更に半分以下に減らそうとしている。農業を成長産業にとか、6次産業化・輸出増大とか言って、そうならないのは止めろといっている。前川レポートで「農業要らない」と言うが、今農民として生きていけるのかどうかが問われています。米大統領選、トランプがTPP脱退を主張。不法移民は、NFTAによりメキシコ農業が壊滅した結果。tppによってこういうことが起こってくる。職の安全も含めて、農業問題が農業者だけでなく、労働者の問題でもある。今、市東さんの問題は全国の農民にかけられた問題である。農民を労働者が獲得するのかどうか、ということです。われわれ農民が本当に三里塚闘争に誰が見ても正義が、大義がある。われわれが共感できる。勝利の確信が有る。市東さんを守って全国農民会議は農民の先頭で闘う。

共同代表鈴木さん。
 いつも福島のいろんな現実に対してご支援有り難う御座います。原発事故が起きて初めて三里塚が当面している事実が分かった。如何にすさまじい人間としての生き方がかかった存在としてあるか。これからも福島は戦い続ける。そのために三里塚闘争があったからこそ決意を支えることができた。反対同盟の50年があるから素晴らしい高いが生み出されたことを確信します。勝利の地平に立って、全国農民会議は手を携えながら、学びながらこれからも共にがんばる。
 市東さんの作物はすばらしい。農民は誇りを持って土に向かっていきます。頑張ります。

カンパ・アピール 宮本 麻子
 国家は意思を通す為に暴力で農民人民に襲いかかって来ます。三里塚50年の姿は、沖縄・福島でも同じであります。市東さんの農地を守る為に最高裁に上告1万9千の署名をいただきました。裁判を複数しています。50周年企画でお金も掛かっています。遠方の方、物品購入して貰った人も居ますが、闘いを続けるため支援をお願いします。現地では、3本目の滑走路を作る話が出ています。朝鮮有事のための準備です。戦争の為の滑走路は作らせない。反対同盟は、農地死守・実力闘争、話し合い拒否の基本原則を守り、全国の反戦闘争とともに闘っていきます。

司会交代 木内敦子
 三里塚闘争50年、非常に感慨深いものがあります。戸村委員長、市東東市さん、鈴木謙太郎さん、萩原進さんほかにたくさんおられますが闘い半ばで死んでしまった人たちの思いを反対同盟は受け止めていますが、ここにいる皆さんも同じだと思います。前に、萩原静江さん、今日来ていますが、と話になったとき、「萩原さんは前から反対同盟ですよね、わたしは途中からなんんだよね」と言ったら、「そんなこと言ったら腹据わっていない」と尻蹴っ飛ばされた。本当にけった訳じゃないけど。これから闘い続けることが大事なんだと思いました。これ(後半)から沖縄、福島に発言を受けていきます。

沖縄・辺野古の海から    安次富 浩
 ヘリ基地反対協では無く、市東さんの農地を守る会沖縄での参加です。沖縄県議選知事与党が圧勝。公明党は県会では与党。公明党に期待しなくても翁長知事を支えられる県政。安倍政権もアメリカ政府もビックリしている。日米両政府に突きつけた。辺野古の問題20年前の4月12日だったと思うが、当時の橋本首相のモンデール駐日大使との約束で5~6年で返還。しかし20年たっても実現していない。ヘリポートの話が普天間基地そっくり移設になってしまった。辺野古を選らんだのはモンデールによると日本政府が決めたのであり、アメリカでは無い。名護市民投票の時下河辺がお金をばらまいた、宛てた手紙。大和に持って行ったら反対闘争が起こされてしまうので沖縄で良いんだと言う書簡出てきた。森本という軍事評論家防衛省出身。機能から言えば西日本に持って行った方が海兵隊にはベスト。だが反対運動が起きるから政治的に沖縄なんだ。こう言うこと。歴代日本政府がやって来たのがこう言うこと。鳩山が初めて対決したが、潰したのは民主党内も含む日本。沖縄は植民地的差別を受けている。構造的差別。日本政府による植民地的支配を受けている。アメリカによっても。つい先日悲惨な事件が起きました。ジョギング中の女性が元米海兵隊員の軍属がレイプ目的で拉致し殺してしまう。遺体をトランクに詰めて山原の山に放置。4月28日。因縁ですね。4・28。殺されたのは19日。3月末には沖縄に来た女性観光客が那覇市内のホテルで連れ込まれてレイプされている。綱紀粛正と言う事で隊員に命令しても何ら変わらない。米軍基地がある限りこれからも起きる。オール沖縄を校正する内、企業も米軍基地は要らないと言っている。伊波さん立てて闘っている。安倍政権の沖縄担当相である落とす事。意義が有る。福島の波枝町案内して貰った。ジャングルになっている。福島も現職法務大臣が候補。福島と沖縄で現職閣僚を落選させる事が安倍政権の打撃になる。三里塚の闘いを支えていく、市東さんの闘いを支えていく事を沖縄で作り上げている。安倍サタン政権と言う。キョトンとするけどキリスト者み失礼だけどアベマリアと全然違うでしょ。戦争政策を推進する安倍政権を打倒する。でないと沖縄問題は解決しない。関係ないと思うかも知れないけど、主権者である私たちが倒さないとこの政権が生き残っていく。島尻安以子、島売り安以子と読んでいる。県外移設と言っていたにもかかわらず恫喝にによって変わった。台所から政治を変えるというが貴方の台所は自衛隊の台所だろ。和解交渉は失敗するだろう。作業船は3月中旬に居なくなったけど、船を出して、再開されたら何時でも。闘いは続いている。20年間持続して、翁長さんが推進だったのに率先してノーと言っている。沖縄県民が支えている。翁長さん、翁長知事、支えながらオール沖縄で推進していく。有る企業は詩人研修として辺野古に座り込みさせている。此処が沖縄と大和との違い。アメリカにも民主主義だと言うけれど、突きつけていく。沖縄20年、三里塚50年。50年も闘いたくない。この2ねんか3年で勝ちたい。福島とも連帯して勝利するまで頑張りましょう。

金 治朗  サタンの話耳タコなんですが皆さんには新鮮かな。8万5千人天待った県民集会読谷村で開催。それがオール沖縄の始まり。県議会が決議。三里塚反対同盟の萩原さんや市東さんが来て交流会。読谷村で辺野古に繋がる面々。三里塚に関わって悪い事ばかりしている? どこどこ派とか入り口論議。市東さんの農地が取られると言う時に問題では無い。安次富・知花・金城共同代表。チャンプルー。6月23日慰霊の日、市東さんが毎年来てくれている。前半9時から安倍が来る時市東さん先頭に糾弾闘争。裁判所反動判決出した田宮、沖縄と三里塚が繋がった。反対同盟のチラシを撒き、署名集め。カヌー隊出発で市東さんが激励してくれた。辺野古の闘いは三里塚と結びついている。海の三里塚だ。毎日カヌー出して監視している。カヌーや船団の仲間が休みの時は嘉手納など監視闘争。名護市で勝手連作りました。心は一つ。辺野古の闘いを物心両面で支援してくれたカヌーを送る会の人有り難う御座います。沖縄だけでは勝てません。全国の仲間、三里塚の仲間、これからも共に闘っていきましょう。

 辺野古に行こうという運動をしている若者。東京で活動している中津。自分たちは辺野古の問題を関東の方から何とか出来ないかと集まって街頭アピールしています。私は琉球二世。父が沖縄戦経験。千葉でスイカを作って売っていた。三里塚の映画スイカが出てきたので聞いたら、年老いた父が三里塚と言った。市東さんの援農に行った。どんな人たちが居るんだろうと緊張していったが、感動しました。とても伸びやかで。もの凄いプレッシャーの中でしているんだろうけど、作業の中で轟音とタイヤの焼けるにおい。何かを隠す塀。沖縄の基地と重なった。フェンスが続いている。自分たちのささやかな生活を守っていく。次の世代に伝えるのが如何に大切か。目の前で繰り広げられている事に声を上げる事の大切さ。沖縄だけで無く三里塚でやられている事。援農している時に感じた事。自分は若造なので、まだまだですが続けていきましょう。

福島・反原発運動から    福島仮設住宅から・映像もコラボたまつくり? 趙博さんの活動場所でてんでんバラバラに活動。福島に行っているのも勝手。7年前に援農鈴木さんの家にお世話になった。土に触れて凄いなあ。野菜を運ぶ時、古川が福島にボランティア行った際に安全な食べ物をと言う事で提供して貰った。想いが結実した事で続けられている。今日来られなかった仮設の方、去年、避難区域で帰れないけど、米作りした。大阪の米屋で置いて貰い、放射能はかって貰った。玄米で2ベクレル、白米で1ベクレル、研いだら0.3ベクレル。食べられるんじゃ無いか? 個々の判断有りますが。桂村の人のモチベーションが上がった。戻るのは老人しか居ないんじゃ無いか。若い人は別の所に住んでいる。今年も田植えに行ってきた。出来た物を秋にちゃんと計った上で。農協に卸す時30キロ3500円を4000円から4500円で売る。5000円切ると農家は苦しい。福島の農家を潰すのか? 大阪の米屋で仕入れてきてる。原発危険だと行ってきたのに何も出来なかった。桂村に住むと言い出した人が居る。1500人の村が300人に減った。これからも野菜を届けて、田んぼや畑を耕して、10月からは大阪に米を運び続けたいと思います。空港が、櫓を見て、突然空から落ちてきたようだと言った。国策で土地を取り上げられる。敵は一つ。なんでこの国にいたぶられないといけないのか。原発反対・戦争反対。これからも趙さん含めて福島に市東さん・萩原さんの野菜を届けていきたい。

福島共同診療所・杉井吉彦
 福島に開院してから4年。圧倒的な国・県・医師会による「安全」キャンペーン。現在行われているのは帰還政策。15万の避難者、国の政策による避難したくても帰れない、帰りたくない。補助金打ち切りで帰るしか無い。チェルノブイリでも1ミリを20ミリの日本独自の基準。人体実験。安全でも安心でも無い。小児甲状腺ガンが急増。日本共産党民医連は大げさ診療所という。無理矢理高濃度汚染地域に帰らせて被曝させる。国策としての土地取り上げと国策としての爆発と同じ事。チェルノブイリでは5年後。健康を守るという事を真剣になって行う。大人も子供も長期被曝による問題。健康の為には避難であり、保養であり。
 三里塚と同じ。4年しか福島に居ないけど。野戦病院で数千人を守り抜いた支援。成田日赤などで待っているのかどうか? 闘争の中で、階級闘争の中で、何処で医療をするのかと言う気持ちが福島診療所には脈々と生き続けている。

佐藤 幸子
震災直後から皆さんと何度もお会いしています。福島は戦場になった。赤い炎が見えます。戦場から子供を避難させるのが始め。実際避難できる子は少ない。診療所作る事にしてどちらからもバッシングがあった。とどまれると思われると言う声、危険など無いと言うバッシングと。広島の助産婦さんにも絶対反対と言われた。予防の為の診療所と説明して納得して貰った。東京での集会に助産婦さん参加してくれた。異常出産が多い。三里塚や戦争の時のように血を流している目に見える被害とは違う。だから怖い。当時13歳の娘を山形に避難させた。高校卒業して国分寺に居を構え、18歳、選挙権得て、鈴木達夫さんのウグイス嬢した。市東さんの援農・辺野古の集会も行ってきた。将来を担わなければいけない若者が怯えているのが福島の現実。職場で同僚に警察に踏み込まれたらどうするんだと言われた。5年たっても来ていない。「日本の警察も甘いものだな」これからも福島と共に。

「50周年アピール」(集会宣言)萩原 富夫
同じ顔が出てきました。何役もしなくてはいけないので。まとめはアピールの中に出ています。午前中から長丁場だから読まなくて良い? みんな疲れているから。読まなきゃいけない。それじゃ読みます。(以下プログラム参照)

集会終了

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