1・22萩原証言

 午前10時30分に開廷し、まず最初の証言は萩原富夫さん。萩原さんは反対同盟の代表者として証言に立ち、反対同盟の目下の第一の課題は市東さんの農地を守ることだと明言しました。
 そして看板、やぐらを立てた経緯を話し、周りが全部空港という市東さんの置かれている生活状況に踏まえて「市東さんや同盟の意思表示であり、市東さんの厳しい立場や断固反対の思い、闘っていることを示す絶対に大事なものだ」と語りました。
 さらに、自らの家族と農業について、あるいは地域状況について話し、空港建設を断罪した。東側誘導路のために東峰の森が伐採されたこと、東峰部落は誘導路に分断され、畑が空港のフェンスで囲まれ、飛行機の間近で農業を営まざるをえない状況を話しました。
 萩原家の開拓時代の苦労について「1947年から開拓。大変な苦労でやっと農業経営が確立した頃に空港問題が起きた。63年に母屋を建てたばかりだった。」と伝え聞いた話を述べ、開拓も食糧増産の国策、戦争も国策、空港も国策と国策に翻弄された歴史を故・萩原哲子さんの「戦争が終わって今度は空港との戦争。自分の人生は戦争ばかりだった」という言葉で紹介しました。
 さらにNAAの姿勢について、「東峰区の皆様へ」と題した黒野匡彦元NAA社長の文書を「空港はこの立場で一貫していない」と批判し、「市東さんの農地をめぐっても言っていることとやっていることが正反対」と弾劾しました。
 また、東峰部落に対する日常的な生活妨害について「一番の大変は騒音」とし、墜落、落下物に加え、ジャンボ機がぎりぎりで飛び上がった重大インシデントの事故ととらえて「突っ込んでくる恐怖にさらされている」と弾劾しました。こうした空港への怒りから市東さんの農地取り上げ問題についても、「やっていることがおかしいと部落のみんなが関心を持っている」と述べ、反対同盟だけでなく地域社会においても重大問題であることを明らかにしました。
 そして、「市東さんと共同で産直をやっている。対象農地は2軒あわせた農地の3分の1で強制執行がなされたら大きな影響がある」と関係の深さを示した上で、消費者との相互交流、相互理解の上に成り立っている産直の意義や、こうした農業実践が、「提携」というやり方として注目されていることを明らかにしました。 
 「日本の農業は危機的状況にあると思う。産直は今後農民が生きていく最善の道だと思っている」と信念を語り、国連の小農宣言にも踏まえて「自然や農業を大切にしなければならない時代に入っているのに、空港の利益を優先して自然や地域を破壊するのは間違っている」と空港建設を弾劾しました。
 そして最後に「同盟所有の看板の撤去を求める前に、本当にNAAが(土地の)所有者なのか、市東さんに断りもなく売買できるのか。農地法に書かれていること、裁判所は法の番人ならそこを外すな。明け渡せなんておかしい。余計な忖度はするな。ぜひ市東さんの話を聞いてほしい。」と強調しました。

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