1・22市東証言

 午後1時30分から証人尋問が再開し、市東さんが証言に立ちました。
 まず、やぐらや看板について「反対同盟のもので、私と同盟で相談して立てるようにした」「飛行機から乗客、機長に見てもらえるように書いた(大看板)」と説明し、いつまで設置するのかについて「決まっていない。横暴な空港建設が続いている限り、空港廃港まで置きたい」と語りました。
 また天神峰農地の東側に立てられたやぐら(監視台)について、飛行機からのジェットブラストによる排ガスを監視して調べるためであること、監視用に設置した紙片が2日で変色するほどジェットブラストがひどいものであることを明らかにしました。
 こうした被害に対して、NAAは「そのフェンスで十分だ」と言いなし、成田市は「市東さんのところにだけお金をかけられない。NAAに言ってくれ」と言うばかりで、「何の手も打ってくれなかった」と不誠実な対応を弾劾した。こうしたことから排ガス対策として自ら竹林をつくったことを延べ、「自分の生活を守ろうにも、NAAや市は何も聞こうとしない。自分がここで生きていくことを知らしめるために、自分に必要なものだから立てた」とやぐらや看板を立てた思いを語りました。
 さらに父・東市さんの遺志を引き継いで反対同盟員になり農業を引き継いだ経緯を語り、問題となっている地代のだまし取りにについて、元の地主であった岩澤や藤﨑とのやりとりを克明に証言しました。また、2003年に小作契約の解約の申し入れに来た空港公団(当時)の横柄な態度や、話し合いを求める姿勢も事実もなかったことを詳述しました。
 自らの有機農業と産直については、常に畑に作物がある状態で50種60品目の野菜を作っていること、400軒の消費者に野菜を届け、「顔の見える関係」という以上に密な信頼関係を築いていることなど、農業と農地にかける思いを述べました。
 2棟の育苗ハウスやトラクター・機械置き場、作業場、はなれなど、天神峰はなくてはならない場所であり、取られたら農業を続けられない、うわ土を持っていって他で農業をやればいいという話などではなく、天神峰の地で農業を続けたいと強調しました。
 NAAに対しては「底地を買って15年も隠していた。それがすべての始まりで、今も文書提出命令にも応じない、不誠実だ」と批判し、「住民無視は50年間最初から変わっていない。空港との共存共栄と言うが空港オンリーの考え方だ」と弾劾しました。
 最後に「口で言ってもダメだから態度で示す。それが看板、やぐらであり、必要だと思っている。これからも天神峰、南台で誇りを持って農業を続け、体の続く限り消費者に安全、安心の野菜を届けていきたい」と決意を明らかにしました。

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