●「空港反対同盟」とは?


1968年6月28日の三里塚反対同盟結成大会
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■三里塚芝山連合空港反対同盟は、1966年8月22日に結成された、成田空港建設に反対する農民の組織です。私たちは、42年前、突然「この地に空港を造る」と一方的に通告され、警察力による農地の強制収用にあいました。私たちは村ぐるみ、家族ぐるみで体を張って闘いました。全国の労働者、農民、学生、市民の支援に支えられ、今も農地を守り続けています。成田空港は計画の半分も完成していません。

■血のにじむ開墾をおこない、敗戦後の食糧難の時代を支えた私たち農民を、まるで虫けらのごとく扱った国に対する農民としての意地と誇り――これこそ42年間の闘いの原点でした。空港建設反対に立ち上がった理由は、農民に何の相談もなく空港建設を押し付けられたことに対する怒りでした。
■1970年を前後した、機動隊暴力による強制代執行(土地取り上げ)、とそれへの流血の闘いをへて、1978年には空港が滑走路一本で暫定開港しました。
■しかし私たちは「1期工事そのものを絶対に認めない」と強く決意するとともに、「あと2本の滑走路を建設する」という2期工事を実力闘争で阻止する1980年代の闘いへと、闘争を継続させていきました。1986年に2期工事が着工された時点でも、多数の同盟員が空港予定地内で反対しつづけていました。
■ここまで抵抗する農家を力で強制的に追い出すことは難しくなりました。空港公団は、「軒先工事」と彼ら自身が名づけた「地上げ屋」的いやがらせを行う以外に、土地を取る手段を失っていたのです。そして1988年には、土地を取る手続き(収用手続き)を進める千葉県収用委員会の委員全員が、反対同盟を先頭とする人びとの批判を浴びて辞任するという事態が起こりました。その結果、力による2期工事用地の取り上げはますます不可能になりました。
■そして、1989年12月には土地収用法による事業認定が期限切れを迎えて効力を失いました。1993年6月には、運輸省・空港公団自身がこの失効を認めて収用裁決の申請自体を取り下げ、あらゆる意味で土地収用法(事業認定)の失効が確定したのです。これは、こののちの成田空港建設が公共事業としての正当性を失ったということでもあります。
■政府・運輸省、空港公団は、村岡兼造、越智通雄など当時の運輸大臣名で「今後いかなる場合でも強制的手段は使わない」「今後の滑走路建設にあたっては住民とのコンセンサスによる」という公式の確約をおこないました。

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■しかし、その舌の根も乾かぬ2000年、政府・運輸省は「未買収地を避け、本来計画よりも北側に800メートル伸ばした暫定滑走路を造る」と発表しました。これが前記の確約違反であることは明白でしょう。私たち地元農民を無視して、強引に力ずくで滑走路建設を強行する、という34年前(1966年)のやり方に戻ったのです。そして2002年、反対を押し切って暫定滑走路を開港しました。その意図は「頭の上にジェット機を飛ばせば、さしもの三里塚農民も音(ね)を上げるだろう」との勝手な願望でした。
■非人間的な大騒音やジェット機の噴射などの生活環境破壊は、まさに国家犯罪とも言うべき暴挙です。しかし私たちはこれに屈することなく、あくまでもこの暴挙を告発して闘う道を選びました。私たちを追い出せなかった国土交通省(2001年から運輸省が建設省と統合されました)、成田空港会社(2004年に空港公団が民営化)は、今現在「さらに北に320メートル伸ばし2500メートルにし、ジャンボ機を飛ばしてたたき出す」という「北延伸」攻撃に出てきています。
■そして2007年末には、年間の飛行回数を現在の20万回から30万回に増やすという計画すら発表されました。「今後いかなる場合でも強制的手段は使わない」「今後の滑走路建設にあたっては住民とのコンセンサスによる」という公式の確約は、跡形も消えてなくなったのです。

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■私たちは42年間たっても変わらぬ空港建設のやり方、そしてこれとの闘いを通して、農民としての誇りと権利を守り、生き抜くには、やはり「絶対反対」しかないという確信を深めています。そしてこれは全国の多くの仲間たちとの連帯の中でこそ得ることのできた確信です。
■とりわけ動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)との連帯は決定的でした。78年の1期開港に際して、動労千葉の皆さんは自らの首をかけて、空港で使うジェット燃料の「貨車輸送阻止」に立ち上がってくれました。労働者と農民がともに闘えば、たとえ相手が国であっても闘える、ここに私たちは勝利の展望を見い出しました。
■私たちの反対同盟の闘いは、私たちだけの闘いではありません。国策に抗して私たちの農地や権利を守ることは、労働者や農民、市民、みんなの権利を守ることです。だから私たちは負けるわけにはいきません。
■この三里塚で、2006年から政府は再びむき出しの農地取り上げに踏み出してきました。改憲攻撃が始まり、戦争の足音が迫っています。働いても食べることのできない若者が増えています。政府は食料の自給政策を放棄してしまいました。完全に一線を越えています。
■そしていま、若い労働者や学生の反乱が、静かにしかし確実に広がっています。国や財界のやりたい放題は終わりにしろ、という声があふれています。このような時代のためにこそ私たちは闘いつづけてきたのです。

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■すべての仲間の皆さん! 時代を担う若い労働者、学生の皆さん! 三里塚の農地は人民の権利と抵抗と団結のとりでです。ともに力を合わせ闘うことで、未来を切り拓こうではありませんか。
■ぜひ一度現地に来て、空港建設による人権侵害と、私たちの闘いを見て下さい。ご支援をよろしくお願いします。

  

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