反対同盟とは何か(3)

佐藤・友納会談
佐藤・友納会談
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 1966年6月22日、三里塚・芝山地区の農民たちは、新聞とテレビで富里・八街空港に計画されていた新東京国際空港が、三里塚地区へ〃不時着〃することを知りました。地元農民にとってはまさに「寝耳に水」の突然の計画変更。生活手段である農業ができるかどうかという大問題で、当事者に何の相談もなかったのです。村は騒然となりました。
 4000メートル滑走路2本、3600メートル滑走路1本、2500メートル滑走路2本で総面積2300ヘクタールという計画を半分にして、4000メートル一本、3200メートル1本、2500メートル1本、総面積1065ヘクタールの「暫定空港」を造るという計画変更でした。あくまで、富里・八街空港の規模がめざされていたのです。
 三里塚の空港計画で敷地内に組み入れられる農家は325戸と言われました。この敷地内農家の中でも、当時農林省(現農林水産省)が省をあげてとりくんでいた農業改善事業としてのシルクコンビナート事業に参加していた約200戸の農家にとって、問題が特に深刻でした。
 シルクコンビナート事業とは、農林省と千葉県が軸になり、市、農協が一体となって、成田市遠山地区に約1000任砲發よぶ近代的養蚕事業を新たに始めようとの計画で、1963年に開始されました。予算は当時の金額で3億円。参加農家は最終的には1000戸を予定する大事業でした。
 1965年には第2次農業構造改善事業の特定事業に認定され、1965年6月には、秩父宮、高松宮、三笠宮の3妃参加の下「お手植え式」なるものまで行われる国家的事業でした。
 ところがこのシルクコンビナート事業が、後から来た成田空港計画によって一方的に中止にさせられたのです。
 農林省の肝入りですでに着手されていた、新空港計画とほぼ同規模の公共事業が、航空分野を含む最先端の戦略産業を優先する政府の政策でいとも簡単につぶされたのです。ここに農業を切り捨てて農村から低賃金労働力を吐き出させ搾取する一方、海外への膨張を図る戦後日本の資本主義の基本的構造が現れていました。
 新空港計画は、1966年の最初から今日の市東孝雄さんの農地取り上げにいたるまで、農業・農民切り捨ての攻撃として強行されているのです。

  

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