空港会社側が提出した書面のズサンさが露呈

――12・3市東耕作権(不法耕作でっち上げ)裁判口頭弁論


裁判終了後の記者会見

■12月3日、千葉地裁405号法廷で市東耕作権(不法耕作でっち上げ)裁判の第5回弁論が行われました。遠く関西、群馬からかけつけた仲間を含め、100名近くの傍聴者が、「市東さんの農地を守れ」とかけつけ、空港会社側の無法に怒りを示しました。


100人近くが傍聴券を求めて並んだ

■午前10時30分、弁論が始まりました。今回の弁論は、市東さん側、空港会社側が、それぞれの立証計画と期日を確認しあうものとなり、法廷の場では、主張のやりとりは行われませんでした。次回弁論は2008年3月3日(月)です。
■しかし、弁論後の記者会見および報告会で、弁護団より、空港会社提出書面のデタラメさ、ずさんさの一端が鋭く指摘されました。


弁護団がボードを使って畑の「位置・形状」のを解説

■11月21日に提出された書面資料は、「位置・形状」が問題となっている「40番地」(地図参照)の旧地主の相続人である勘一氏からの聞き取り調査報告書および隣接地の地主であった神崎昭氏の妻からの聞き取り調査書そして1970年代の収用裁決申請書(地図添付)・明け渡し裁決申請書(地図添付)でした。
■ところが、2つの「聞き取り調査報告書」は本人の署名も捺印もないデタラメなものでした。空港会社の用地部職員が自分たちに都合のいい航空写真を示して、「畑はここに間違いありません」とむりやり言わせたことを疑わせるものでしかありませんでした。「こういうものは通常、民事裁判の証拠にはなりません」と弁護団は断言しました。

■しかも、2つの聞き取りは、現在時点で聞き取った「資料」でしかありません。1969年3月に「40番地」を買収した当時の資料は、何ひとつ提出することができていません。そして隣接の耕作権者であった市東東市さんの境界確認が行われていなかったことも、空港会社側は認めたのです。「当時は空港反対運動が激しかったため、境界確認を行えるような状況ではなかった」と書いています。
■空港反対闘争は三里塚農民の生活権をかけた必死の闘いです。激しくなるのは当然です。だからといって土地を取得するのに、境界確認をしなくていいという理由になろうはずがありません。
■後者の2つの申請書は、所有権・賃借権を収用する「権利者」として、市東孝雄さんの父親である市東東市さんの名前が削除されている、こちらもデタラメきわまりないものであることが弁護団から暴露されました。
■つまり、空港会社側が「証拠資料」を提出すればするほどボロが出て、提訴自体の不当性がますます明らかになる裁判の展開になってきたということです。
■記者会見、報告会では、弁護団からの解説、市東孝雄さん、北原鉱治事務局長、鈴木幸司さんのあいさつが行われました。全国からかけつけた仲間から、「市東さんの農地取り上げに反対する会」共同代表の井村弘子さん、現闘本部裁判世話人の青柳晃玄さん、関西実行委の松原康彦さん、動労千葉特別執行委員の後藤俊哉さん、都政を革新する会の長谷川英憲さん、相模原市議で婦人民主クラブ全国協議会代表の西村あやこさんのあいさつを受け、同盟事務局次長の萩原進さんがまとめの発言でしめくくりました。
■2008年1月15日(火)午前11時より、農地取り上げ違憲訴訟(行政訴訟)の第2回弁論が闘われます。こちらは、市東さんが原告となって空港会社を追いつめる裁判です。傍聴よろしくお願いします。

  

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  • 市東さんの耕作権裁判