●労農連帯が未来を開く

――動労千葉新年旗開きで北原事務局長があいさつ


あいさつする北原事務局長
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 1月12日、私たち反対同盟と車の両輪として闘う、国鉄千葉動力車労働組合の新年旗開きが行われ、反対同盟から北原事務局長が参加、連帯のあいさつをさせていただきました。  以下、紹介致します。

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 07年が過ぎ、08年を迎えて今日の闘いが開催されていますが、タイムスリップして動労千葉の労働者のみなさんが闘ってきた一端を述べてみたいと思います。
 78年11月、動労千葉は動労本部から独立する宣言を発しました。それ以来、反対同盟はみなさんとともに強い連帯を貫いて現在に至っています。私は反対同盟結成以来、42年間事務局長をやってまいりました。それはひとえに、動労千葉の労働者のみなさんによって三里塚反対同盟は励まされ、支えられて現在に至っていると考えています。振り返ってみると、関川委員長、中野委員長、田中委員長という3名の方と一緒に心を一つにしてここまで来たと思います。いまの国際情勢を含めて見たときに、動労千葉のみなさんが、ここまで力を持ち、そして理解しあって闘ってきた20数年間だったと思います。
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 いまの情勢を見ると、全国を見たときに、こういう分析ができると思います。ということは、動労千葉に学べと、いうことが大小問わず、労働者の心の中のスローガンとしてあるということなんです。みんな苦しいこともあったと思う。だが動労千葉は健在です。私たちも健在です。とりわけ、この間2年間にわたって動労千葉が、国際連帯を求めて民主労総との交流を深めてきたことは偉大なことだと思います。そして動労千葉が、反対同盟−この農民闘争を大きくアジアに広げ、アメリカにも広げてくれた。これは大きな、日本の将来を決する未来がそこにあるんじゃないか。このように私は受け止めています。
 この間、11月にも韓国の労働者の人たちと反対同盟の交流をもってもらうということがありました。その中で、反対同盟の話を聞いて感動してくれた一人の女性労働者がおりました。この連帯を作るには、動労千葉の田中委員長を先頭とするみなさんが一生懸命やってくれたからつながりができたんじゃないか。
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 それから78年の11月でした。動労千葉も大変な時代でした。私たちも大変な時代でした。成田空港にジェット燃料を輸送すると。これについて「ジェット燃料貨車輸送阻止」「絶対反対」というスローガンを貨車の横腹に大書して機関車を動かす姿を見ました。私たちはその時に鹿島からの一週間のデモを行った。そうした中、えんえんたる山野の中を動労千葉のみなさんが運転し貨車を走らせている。私たちのデモ隊の間近に道路があり、そこをデモ行進したことがありました。その時、貨車の運転士が汽笛を鳴らして私たちに合図してくれたんですね。その時、私も、同盟員も、ものすごく感動を覚えました。
 感動をもたない者は人間ではありません。ジェット燃料貨車輸送阻止、絶対反対のスローガンを掲げて原野を走ってくれた姿は、いまだに私たちは忘れてはいません。ここに労農連帯のすばらしさがあったんじゃないかと思います。
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 みなさんに特にお願いしたいことは、感動を持たない人間は人ではないということ。感動を持てば、いつでも人は闘えるんです。それが三里塚の教訓であると思っています。「三里塚の闘いなどやるべきじゃない」という動労本部を振り切って分離独立した動労千葉は、やはり正しかったと受け止めています。
 これから08年、大変な時代に入る。三里塚をめぐっても、いくつかの裁判の判決が出るでしょう。農地法をもって農民の土地を取ってしまう。三百万の農民を今、13万に減らすというような政治が行われています。これに抗しなくて、どうして日本の将来があるのか。ここで闘わなければ、手前が生きるということがなくなってしまう。農地法は、どこに行ってしまったのか。動労千葉のみなさんも裁判は毎回傍聴し、発言をしてくれます。
 こういう中で「これでいいのか」と。「将来があるのか」と。農民も労働者もそうだと思います。このままでいったら、農民の未来はなくなる。
 安全のためにストをやる。当然だと思います。昔、私の少年時代は、各踏み切りには駅員が2人はおりました。それを合理化して、どんどん労働者を削っていってしまった。機械はたしかに文化的でいいかもしれない。だがそういう文化はやめてもらいたい。やはり人間の力で機械を操作し、人間みずからが事故のないように踏み切りに立つことは、絶対に人命を守るためには必要ではないでしょうか。合理化、合理化ですべての人力を失う。そこには必ず事故が起きます。乗客を守るためにストをやるのが、なぜ悪いのか。人命を守り、自分の職場を守るためには。
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 もう一つ話しておきたいことは、ジェット燃料輸送の中で起きたことです。反対同盟としても、ずいぶん悩みました。成田空港に燃料を貨車で運ぶということは、どういうことなのか。動労千葉が、三里塚空港反対闘争に同調しているからこういうことになるんだ。したがって動労千葉が、分離独立しようが何しようが、除名しようということがあったんですよ。だから動労千葉が、受けてやろうじゃないか、と。そして分離独立して動労千葉の現在があるんです。私は詳しくはわかりませんが、人道上の問題として、動労千葉がここに闘っているということは、いまの農民闘争にとっては大きな力になり、激励をもらっていると思います。
 さきほど中野元委員長の姿も見ました。中野さんが委員長を下りるとき「中野委員長は、なんらかの形で動労千葉に残ることを考えてくれ」と言いました。いま常任顧問という形で残ってますが、それをひきつぐ形で田中委員長が08年の展望を出しました。これは素晴らしいことです。
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 反対同盟は、この労農連帯。労働者が機械を動かし、農民は食料を作る、いのちの糧を作る、これが連帯することで必ず未来が開けると考えています。これからも動労千葉のみなさんと一緒に反対同盟は闘っていきたいと考えています。08年、いろんなことがあるかもしれないが、受けてたってやろうじゃないか。ともに闘っていきたいと思います。

▼ビデオはこちら△
(動労千葉を支援する会より転載)

  

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