5・11市東さん耕作権裁判、空港会社を追いつめる勝利

■5月11日、市東さんの耕作権裁判第11回弁論が千葉地裁で開かれました。約80人が傍聴闘争に集まり、空港会社側の提訴のデタラメぶりをいっそう浮き彫りにさせました。
■この日は、市東さん側から、石橋政次元反対同盟副委員長の妹である関根とめさんの聞き取り報告と、そのテープが準備書面および証拠として提出されました。さらに1988年3月19日に作成されていた元永メモも証拠として提出され、空港会社を追いつめたのです。
■10時30分に始まった法廷で、まず、葉山岳夫弁護士が、準備書面の陳述と証拠の説明を行いました。中でも関根とめさんの証言は、決定的です。関根さんは、1952年まで石橋家に暮らしていました。その関根さんが争点になっている「41−9」の土地について、「石橋家で耕していたが、屋敷林の陰になって日当たりが悪いため、そこには植木を植えた」と明確に証言しているのです。当事者によるこれほど明快な証言はありません。

■さらに、元永メモも市東さん側の主張の正しさを証明しています。元永メモとは、1988年当時、反対同盟法対部の元永修二氏が、市東東市さんから小作権の権利関係を聞き取り、メモと地図として残したものです。そこには、「41−9」の土地については耕作していなかった事実、石橋政次が耕作していた事実が文章と地図によってはっきり記載されています。
■法廷では市東さん側が空港会社に対して、求釈明という形での追いうちをかけました。「41−9」の耕作状況を明確にするためには、過去の航空写真が有用です。市東さん側は、空港公団(空港会社の前身)が1966年に成田空港の建設計画書を運輸省(当時)に提出したときの航空写真を求めていました。ところが、会社側は「1968年以前の航空写真は存在しない」とウソの回答をしてきたのです。市東さん側は「そんなことはありえない。1966年に空港計画の図面を提出しているのだから、その時点で航空写真があったはずだ。探し出して必ず提出してもらいたい」と要求しました。
■この他にも会社側提出の準備書面の矛盾を鋭くつく求釈明が行われ、市東さん側が圧倒的に押し込む弁論が傍聴席と一体で展開されました。


記者会見で図面を使って説明する弁護団


7月現地闘争に結集を

■記者会見・報告会で、市東孝雄さんは「そもそも提訴などできる根拠を持たないデタラメな裁判であることが、弁論をやればやるほど明らかになっています。今日の法廷でも空港会社側を押し込みました。さらに支援をお願いします」とあいさつ。
北原鉱治事務局長は「さらに空港会社を徹底的に追及しよう。現地闘争もがんばろう。弱いものを切り捨てる攻撃と三里塚は43年間闘ってきた。これは全人民の共同財産です」と訴えました。
■つづいて、市東さんの農地取り上げに反対する会の井村弘子さん、動労千葉の滝口誠特別執行委員、関西実行委員会の松原康彦さん、群馬・市東さんの農地を守る会の青柳晃玄さんらが発言、「市東さん側が圧倒している事実がますます明らかになってきた。さらに支援を拡大しよう」と声を大にしました。
■最後に萩原進事務局次長が、5〜7月の闘争方針を提起しました。「10月北延伸滑走路の前倒し供用、7月新誘導路の前倒し供用に対して、7月に断固とした現地闘争をやりたい。今、新型インフルエンザということで市東さんの目と鼻の先のホテルに数十人が隔離されている。ものものしい体制だ。しかし、これは米軍再編と一体の成田の軍事化、国民保護法による昨年9月の軍事演習という動きと一体の問題としてとらえなければならない。農地法改悪の問題や道州制、アジア・ゲートウェイ戦略の攻撃、そうした戦争ができる体制をつくろうという強権的な攻撃と対決する司令塔的な役割を担いたい。その第1弾として7月現地闘争に結集をお願いする」と訴えました。
■市東さんの耕作権裁判の次回日程は7月27日(月)午前10時30分千葉地裁です。よろしくお願いします。
  

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