- 2010年6月15日 23:25
反対同盟本部役員として、常に芝山反対同盟の先頭で闘い続けてきた鈴木幸司さんが、6月12日(土)午前1時50分、逝去されました。行年86歳でした。
告別式は香取郡多古町のさくらの宮ホールでとりおこなわれました。告別式も前日の通夜式も、式場あふれんばかりの参列者で、しめやかながらも盛大に、故人を偲びました。
告別式では、北原鉱治事務局長が弔辞を述べました。以下紹介いたします。
闘いを人生として生涯をまっとうされた鈴木幸司さん。
闘えば必ず勝つ、があなたの強い信条でした。その不屈・非妥協の闘いが今なお成田空港建設の完成を阻止し続けています。
闘いを喜びとし、生きがいとしたあなたの強い意思の根底には、あの第2次世界大戦で「天皇のために死ぬ」ことを強制された戦争体験がありました。敗戦後、あなたは2年間に及ぶシベリア抑留生活を余儀なくされ、生死の間をさまよいながらも何とかして生きて帰ってこられたのでした。そして、「国民を戦争に動員した天皇制は絶対に許せない」と激しい憤りをもって、二度と世界大戦を繰り返させないために、反戦反基地の闘いの先頭に立ち生涯をかけて闘ってこられました。ベトナム侵略戦争が激化する中で始まった成田空港建設に対して、誰よりも早く「軍事空港建設反対」を叫び、反戦の砦・三里塚、の闘いに身を投じてこられました。戸村精神に誇りと確信をもってまっしぐらに闘ってこられた姿は鮮明に残っています。
農民殺しの農地強奪を強行する政府・国家権力に一歩も引かず、2度にわたる不当逮捕をものともせずに、徹底的に闘いぬいてこられました。あなたの凄まじいばかりの闘魂は、たびたび国家権力・機動隊を圧倒しました。とりわけ、反対闘争切り崩しのためにかけられた成田用水攻撃に対しては敢然と立ち向い、廃村化に対しても2期にわたる町議会議員としての闘いで決意を実践されました。本当にあなたのすばらしい空港絶対反対の信念と闘魂には頭の下がる思いです。世の中を変えるためには、あなたのような闘いが絶対に必要です。あなたの強い意思は、家族および反対同盟に引き継がれています。必ず勝利を勝ち取るでしょう。
四十数年、共に闘いぬいた鈴木さん! かえすがえすも残念な思いでいっぱいです。元気な頃には、よく魚釣りに一緒に行ったものでした。また、あなたはボウリングをよくやられ、夫婦連れ立って行かれたと聞いています。皆からも鈴木さんは元気ですね、と驚かれるほど何事にも積極的にやりぬいてきました。全国の集会にも飛び回ってくれました。反対同盟の団結野球大会でも元気に走り回っていた姿が昨日のことのように思い出されます。闘争を生きがいとして全力で闘ってこられた鈴木幸司さん、なによりもあなたの鮮烈な闘う姿は、反対同盟の誇りであり全国の多くの人民の心に焼きついています。あなたの遺志は全国の労農学人民にがっちりと受け継がれ、勝利を導くことは間違いありません。私達はこれからも全力で闘います。どうかゆっくりと休んでください。ご冥福をお祈りします。
2010年6月14日
三里塚芝山連合空港反対同盟
事務局長・北原鉱治
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