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被災地・福島の農民から寄せられたメッセージ(3・27全国総決起集会)

  • Posted by: doumei
  • 2011年4月 2日 23:20

●福島県中通り・酪農家

福島からの報告

 いま私は、3・11以降、毎日夕方になると搾った牛乳を牧草地に捨てに行きます。牛のために考えても無念のきわみです。福島県全部の牛乳が原発事故のために廃棄されています。
 茨城県も同様です。県産の野菜もほとんど全部が摂取制限を指示されました。我々農民・農業者に何の落ち度があったのでしょうか。
 3・11の大津波と大震災につづく原発事故は福島県民に広島・長崎に匹敵する大被災の影響をもたらしています。双葉、大熊等浜通りの自治体市民は、着の身着のまま県外まで避難を余儀なくされています。遠く東京都、千葉の水道水も汚染されました。今更の如く原発事故災害の恐怖を、我々に教えています。原発と我々は絶対に共存できません。それは三里塚農民と成田空港の関係とまったく同様であります。亦それは当時の自民党政権が国家プロジェクトとして推進して来た原発エネルギー政策の完全な破たんです。
 「安全・クリーン」神話は完全にくずれたのです。避難所に東電の副社長が謝罪に来た時、相双地方の農民は、いつ帰れるのか、見通しはどうなのか、家族同様の牛をおいてきたのだと、怒りを押し殺し冷静に問い質しました。怒りのくやし涙なしには聞けない言葉でした。
 財界・巨大独占資本との共存を歩む菅民主党政権は、今も進行する大災害対策に無能力をさらけ出しています。全ての被災者と共に徹底的に糾弾していかなければなりません。
 今我々福島県民は宮城、岩手、全ての被災地の人々と心を共にして日々闘い抜いています。
 怒りは冷静に凝縮され、活路を拓く魂に転化されなければなりません。
 40数年間、闘い続ける三里塚の農民魂に学び、共有してがんばり抜きたいと思います。
 全国の皆様の心からの支援と激励に感謝して福島からの報告を終わりたいと思います。ありがとうございました。

 3月23日
 

●福島県・果樹農家

全国の闘う皆さん!三里塚反対同盟の皆さん!
被災地、福島の農業者から、緊急のメッセージを送ります。

まず初めに、反対同盟の皆様へ、心から感謝の意を表します。震災直後、ガソリン不足の状況の中で、新鮮な野菜や、たくさんの貴重な食料を届けていただきました。本当に有りがとうございました。
今、東北は、大震災、大津波、原発事故の3重の災害の中にあります。東北の2万人をも越える尊い命が失われ傷つき、そして今このときもメルトダウン寸前の危機の中で、多くの原発作業員が被爆しています。
スリーマイル事故を超える放射能が日本中に放出されました。ウランとプルトニウムの混合燃料で動いていた福島第一原発3号機が爆発した時、高校生の息子が言いました。
「お母さん、これから何が起きるの?」
母親は、この問いに何と答えれば良いのでしょうか。

昨年6月17日に、第一原発2号機で、メルトダウン寸前の事故が起きていたことは隠されていました。その時も、非常用ディーゼル発電機が作動せず、電源喪失となり、冷却系ポンプが15分間も停止していたのです。まさに、今日の危機は必然であり、東電の引き起こした人災であります。
この2週間、原発から20キロ圏内避難勧告という国の指示によって、私たちは二つの意味で「陸の孤島」とされています。一つは、風評被害によって、いわき市や南相馬市に、必要な物資が届かず、「餓死寸前」の状況に追い込まれたこと。そして二つ目は、20キロ圏外に極めて高いレベルの汚染地帯があるにもかかわらず、今もって避難指示が出されず、子ども達が被爆しているという現状です。
同じ農業者として涙なくして語れませんが、第一原発から40キロ離れた農村地帯の飯舘村の土壌に、チェルノブイリで強制移住となった地域の6倍の放射能汚染があることが公表されました。国はいまだにこの地域に避難指示を出していません。
そして事故から2週間が経過した今、原子力安全委員会は驚くべきデータを公表しました。飯舘村を通って、福島市に風で運ばれた放射線量が、この一週間で、1770マイクロシーベルトに達したというのです。これは、日本人が一年間に浴びる自然放射線量を上回る数値です!

この2週間、福島の子どもや大人は、水や食糧の配給の列に並んで、無防備のまま放射線を浴び続けました。私たちは、実験室のモルモットではないのです。原子力安全委の責任は極めて重大です。
福島の母親は子ども達に、こう答えます。
「浜岡でも、柏崎でもなく、福島のこの地で原発事故が起きたことで、私たちは大きな使命を与えられた。福島第一と福島第二原発を必ず廃炉にし、私たちは原発事故の証人となって、世界に反核を訴える。福島は大きな仕事を与えられたね」と。
昨日から、息子は救援物資調達のボランティアに出発しました。
私たちは、いま市民レベルでの緊急連絡網作りや、情報やデータの収集に取り組んでいます。福島市から、現地情報と緊急支援要請のメッセージを発信していきます。
今後共、温かいご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。
3月26日


 

●福島県浜通り・酪農家

 福島県の浜通りに住む者です。
 この半月余、みんな疲れ切っています。もう涙も出ません。
 原発から逃れ、「怒りのぶどう」さながらに西へ西へと向かう人々ながめながら、この春の農作業のメドも立たぬまま、時はあっという間に流れてゆきます。
 例年ならこの季節、トラクターの快音が響き始める頃です。今、畑には人っ子一人、姿は見えません。
 今後の生活は……、子どもたちの学校は……、残された牛たちは……、この先がまったく見通せません。
 津波で流された人たちを捜すことすらできません。
 放射性物質は皮肉にも、村八分扱いされながらも、反原発を貫き通した人たちにも等しく降り続けています。
 村を去る決断を迫られる日が来るのではと、考えたくなくても考えざるを得ません。
 放射線と原発を一刻も早く封鎖せよ!
 このたび、初めて人間には怒りの涙というものもあるのだと知りました。


 

●福島市・果樹農家

 3月11日の大震災は、直接の被害を免れた農家にも不安に陥れ、深刻な影響を与えている。
 当地区は、幸いにも3日程度電気・水道・電話が寸断されもしたが、家屋は大したことはなかった。それにもまして不安で心配なのは東京電力福島第1原発の放射能物質による汚染である。それは、より一層深刻になっている。
 春先の作付け、あるいは果樹地帯のための消毒もせまっている。
 放射能測定値が連日報道されていて、当地区は少しずつ下がっているが、2.18マイクロシーベルトと検出濃度は低い水準だ。国は直ちに健康には影響ないとしている。
 しかし、福島県の農産物への風評被害が拡大している。生産者にとっては不安と不満が広がっている。
 25日、系統農協の緊急対策会議があったが、早急に生産者の不安、不満を払拭するために方策を講じること、東京電力の責任だし賠償の義務があることは言うまでもないことを確認して終わった。福島自体が避難地区になりかねない事態だというのに、事の重大さをまったく認識していない。2週間たってもより深刻だ。永年作物の果樹のため仕事は休めないし、日々忙しくなっている。
 

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