●反対同盟とは何か(1)

●反対同盟とは何か(1)
■三里塚芝山連合空港反対同盟は、いまから40年余り前、政府が突如としてこの地に新東京国際空港をつくることを決定したとき、これに反対する千葉県成田市三里塚と同山武郡芝山町の農民を糾合して結成されて組織で、以来今日まで、全国の数多くの人々のご支援をえて、熾烈な空港反対闘争を闘いぬいてきました。

■この付近は、もともと九十九里浜海岸を間近にした北総台地とよばれるなだらかな丘陵をなし、温暖な気候にめぐまれ、古くから農業が栄えたところでした。また明治のはじめにつくられた下総御料牧場では近代的牧畜業も大いに発達していました。その豊かな自然の美しさは多くの人々に愛され、詩人の高村光太郎は「三里塚の春は大きい」という詩を遺し、戸村一作も「日本のバルビゾン」とこれを讃えました。

■ここには数百年前から続く古村で生れ育った者たちもいます。また御料牧場の土地の払い下げを受け、戦前あるいは戦後に開拓民として入植しました。いずれも様々な困難と闘いながらこの自然を愛し、この大地と格闘しながら農を営み、生活を支えてきました。
■ところが政府は、ある日突然“おまえ達の住んでいるところに空港をつくるから、すぐ出ていけ”と言い出したのです。忘れもしない1966年6月22日のことでした。もちろん事前には一言半句の相談もありませんでした。

■農民は農地あってこそ農民です。しかも農地は、永い年月の努力が注がれてはじめて人々に豊かな稔りをもたらします。空港は祖先伝来の故郷を奪い、血のにじむ開拓で築きあげたささやかな生活を根こそぎ、問答無用のやり方で奪いとるものだったのです。それは私たちから生きる糧と希望を一方的に奪い去るものでした。

■反対同盟といっても自民党支持者も社会党支持者もいました。一言で農民といっても、様々な生活があり、考え方がありました。しかし当初から空港絶対反対で結束していました。国にとってどれほど空港が必要でも、力ずくで人の生活を破壊することがどうして許せるのか。いやしくも民主主義社会でこんなことが許されるはずがない。それは共通する思いでした。

■こうして、政府の空港計画が閣議決定(1966年7月4日)されるや、われわれは各部落ごとに反対同盟をつくり、それは数日の間に三里塚と芝山町でそれぞれ一本化し、さらにそれが連合して、三里塚芝山連合空港反対同盟の結成にいたります。それは私たちの、まさにやむにやまれぬ、ギリギリの、生きるための闘いの始まりでした。(06.10.6 つづく)

  

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