市東ときさんの葬儀しめやかに

p061218.jpg

 12月17日の葬儀で読まれた弔辞を紹介します。三里塚野戦病院の大熊寿年さんと介護者一同による心のこもった言葉が参加者の涙を誘いました。

  *
 市東ときさん! あなたは22年前の84年2月、雪の降った寒い日に脳梗塞で倒れて以来、5年余の入院生活の後、夫東市さんや家族の熱い愛情に支えられて、いったんは手を添えて歩けるようになるまで回復され、その後、再度の脳梗塞によって車椅子や寝たきりの生活を余儀なくされてきましたが、あたの驚くほどの強靭な精神力によって、22年間の闘病生活を送り、89年の天寿をまっとうされたと思います。
 あなたは本当に安らかな表情で眠るように旅立たれました。その日あなたは、今までにないような最高の微笑を浮かべておられたそうですね。今にして思えばそれが私たちへの最後の別れだったのかもしれません。
 ときさんの22年にわたるがんばりの中で、私たちはときさんの芯の強さ、生命力の強さを知りました。多くの介護者をはじめ全国の皆さんへの大きな励みともなってきました。
 あなたのことは、夫東市さんがいつも自慢げに話をされていたのが昨日のことのように思い出されます。
 裁縫が大変うまくて皆に和裁を教えていたとか、若い頃映画が好きで特に洋画が好きで、よく一緒に見に行ったことがあるなどとニコニコしながら話しているときや、ときさんの大好きな和菓子を食べさせているときの東市さんの表情は大変うれしそうでした。本当に仲むつまじい二人の絆を強く感じたものでした。
 生前東市さんがよく「闘魂ますます盛んなり」ということを言われていましたが、この東市さんの闘いにとって、ときさんの存在が大きかったのだなあとつくづく感じました。
 また東市さんがなくなられた後、孝雄さんが後を継いで帰ってこられた時、本当にうれしそうな表情をされていたことが今も印象に残っています。
 88年4月から介護者との生活が始まりましたが、18年間にわたる介護日誌は94冊になりました。きびしい環境の中でがんばりぬくときさんの姿は多くの介護者にとっても大変勇気づけられるものでした。以下、介護者の言葉のいくつかを紹介します。
【介護者K】
 薄化粧をしておじいちゃんも惚れ直すかな、というかわいらしいおばあちゃんになって、故東市さんのもとに送り届けることができたという思いです。
 思えばときさんの介護を通して、いろいろな人との出会いがあり、つながりができ、私の生活が成り立ってきました。今あらためて、ときさんにありがとうの気持ちを伝えたいと思います。
【介護者N】
 私はときさんが母の年齢と同じこともあってお母さんのように思えておりました。亡くなられた13日の午後、ときさんは優しい輝きに満ちた微笑を浮かべていました。ときさんは天寿をまっとうされたなあと心から感じています。それまでのときを一緒にすごすことで私の中に培われたものはとても大きいと思っています。今、東市さんが大好きな大福を手渡されておいしそうに食べている様子が目に浮かびます。 ときさんありがとうございました。
【介護者T】新婚生活数ヶ月で戦争に引き裂かれたときさんと東市さんは、三里塚の闘いの中でもう一度寄り添って暮らせるようになりました。お二人の仲むつまじい姿は介護者にも喜びや希望を与えてくれました。
 ときさんは東市さんの声や気配に敏感で見えないはずの目で東市さんをいとしそうに見つめる表情に東市さんも驚いて思わず「見えるのかい」と聞いておられたほどでした。
 かつて東市さんが「代執行来るなら来い女房と一緒に屋根に上って闘う」と宣言され、二人でがんばってこられました。今ときさんは、孝雄さんという後継者に思い残すことなく後を委ね、最愛の東市さんのもとへいかれたのだと思います。
 
   *
 市東ときさん! あなたの22年間にわたるがんばりを大きな支えとして、これからも私たちは孝雄さんとともにがんばっていきます。どうか安らかにお眠り下さい。
 
 介護者一同
 
 
 
 

  

カテゴリーにもどる

           
  • News