- 2011年7月 4日 10:46
●【2日目】 6・23国際反戦沖縄集会(第28回)
「ひめゆりの塔」向かいの駐車場に百数十人が集合し、遠くに海を見ながらなだらかな坂をデモで会場に。反対同盟旗と、新たに作った幟(のぼり)を林立させてのデモは圧巻でした。
「魂魄之塔」で黙祷し「ひろしまの塔」の広場が集会場。厳しい日差しを避けてガジュマルの日陰にすわり、集まったのは30数団体。
司会は一坪反戦地主会の本永貴子さん。集会事務局の比嘉宏さんが主催者代表あいさつ。安里えい子さんのメッセージが朗読されました。
その後、海勢頭豊さんのミニコンサート。自作の「ああ、津島丸」と、映画「月桃の花」の主題歌で、多くの人に親しまれている「月桃」を歌いました。沖縄戦を調査し世界に発信する「チーム琉球」、沖縄キリスト大学の学生たちが紹介されました。
反戦地主会の照屋秀傳会長は、66年前(1944年)に8歳で入学した福田国民学校は、戦時中は日本軍に使われ、戦後は校舎も運動場も自宅も嘉手納飛行場にとられ、家族を戦争に奪われたことを語り、「ここにいる多くも民主党に札を入れた。だが騙された。その責任は、ここにきたヤマトを含めわれわれの責任でもある」と訴えました。
続いて、今も沖縄の各地に残る膨大な遺骨収集の活動を続ける「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが、シベリヤ抑留の遺骨についてはDNA鑑定する厚生労働省が、沖縄の遺骨にはDNAが不可能だとしてきたが、鑑定できた事実をもとにすべての遺骨に鑑定を実施することを要求する闘いを報告しました。
その後、前夜の連帯集会で菅来沖抗議行動を呼びかけた城間さんが闘争報告。公約破りの菅来沖に対して50名が集まり、警官が200名いたので合わせて250名で抗議した(笑)と報告。「いまや総沖縄対日本国家にのぼりつめた。パレスティナのように、沖縄的インティファーダーを展開しよう。日本政府に目にもの見せてやろうではないか」と訴えました。
続いて、「合祀ガッテンナラン!」原告団から金城実さん。「沖縄の中にある内なる弱さを叩くことから始める。6・23に涙を流して、明日からどうする? 涙なんかいらんよ。沖縄の人間は解放されてない。沖縄の現実をみろ。抑止力というが、イクシロク、嘘をつくる力。このことにどこまで気がついているか。明治憲法にも信教の自由があった。ただし天皇・皇族に危害を加えない限りにおいての条件。靖国裁判では、君たちの信教の自由を認めたら、国や靖国の信教の自由を脅かすことになる、という。これは明治憲法。司法は腐っている。だからといってあきらめない。たたかれた木は、1週間で芽を吹き返えす。叩かれれば叩かれるほど強くなる、進化する」と力強く訴えました。
さらに「泡瀬干潟を守る連絡会」からの報告。
そして三里塚反対同盟からの発言です。同盟旗と幟を手に5名が登壇。安次富さんの紹介で、代表して「空港絶対反対・農地死守」の鉢巻きをした萩原事務局次長と市東孝雄事務局員が挨拶しました。
萩原進事務局次長は、欠陥空港としての成田の危機、羽田国際化で追いつめられ完全破産していることなど、三里塚闘争の現状をわかりやすく説明し、「原発も成田も沖縄も『国策・公共』といって札束でつぶそうとする敵との同質の闘い」と話し、最後に、3・11の震災・津波と原発汚染の状況下、広く団結し闘うことの必要と、沖縄ととことん連帯して闘う決意を表明しました。
市東孝雄事務局員は、「耕す者に権利あり。農民として誇りをもって権利を訴える」と切り出し、米軍が銃剣とブルドーザーで農地と宅地を奪い、日本政府が法律をねじ曲げて基地を存続させてきたことを弾劾。「これからも沖縄を訪れ、沖縄に連帯して闘っていく」と決意を表明しました。
続いて、辺野古報告を安次富浩さん。高江からの報告を宜保さん。7月着工の緊迫した情勢のなかで、不眠不休の闘いを続けていることを報告。支援を訴えました。
最後に大城しんやさんのミニコンサート。「沖縄、戦ぬ世」「命どぅ宝」を歌う合間に怒りのアジテーション。
閉会の挨拶を真喜志好一さん。「2プラス2」共同声明での辺野古合意を弾劾し、闘うことを共同の確認としました。
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