- 2013年12月29日 23:41
萩原進君、あまりにも突然の訃報を聞いたとき、とても信じられませんでした。まさか私より先にあなたが逝くなどということは、考えもしませんでした。かえすがえすも残念でなりません。
あなたは、反対同盟結成以来、青年行動隊長として闘いの先頭に立ち、その後も事務局次長として47年にわたる今日まで、一貫して空港絶対反対の闘いを貫いてきました。 あなたは、本当に闘い一筋の生涯を全うしました。それは、誰もが認めることであり、誇れる人生だったと思います。
思えばあなたは、高校卒業後、農民として生きることを決断し、政府のシルクコンビナート計画を信じて、農地を養蚕業のため桑畑に変えました。ところが、成田空港建設計画によって、突然計画は中止され、あなたが農民として生きようとした道は国策によって阻まれました。このことが、空港絶対反対闘争に決起したあなたの原点になったと聞いています。
それ以来あなたは、国家権力によるたび重なる逮捕にも屈せず、たえず反対同盟を牽引して先頭で闘ってきました。あなたの強靭な意志と闘いは全国の農民や労働者の魂をとらえ、三里塚闘争の全国的発展を切り開いてきました。
そして47年たった今、市東さんに対する理不尽な農地取り上げに対して、これを打ち破るためにあなたは誰よりも必死になって三里塚闘争の拡大・発展を考えてきました。農地裁判の控訴審にむけ「霞ヶ関に攻めのぼろう」という訴えも、勝利に向けたあなたの執念から提起されたものだと思います。私たちは、反原発や反TPP、沖縄など国策と対決して闘っている、全国の人民と一体となって霞ヶ関を埋めて闘いぬきます。志なかばにしてたおれたあなたの遺志を必ずや実現したいと思います。
残された家族の皆さんの心情を思うと、言葉がありません。萩原家は親子三代家族ぐるみの闘いでした。妻の静江さんのご苦労に心から感謝の意を表したいと思います。
萩原進さん、重大な決戦情勢の中、三里塚闘争の柱として闘ってきたあなたがいないことは大変なことです。しかし、残された者で力を振り絞って、なんとしても勝利を勝ち取るため闘いぬきます。どうか、安らかに眠ってください。
2013年12月27日
三里塚芝山連合空港反対同盟
事務局長 北原 鉱治
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