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萩原進事務局次長が福島を訪問、支援カンパを手渡す

  • Posted by: doumei
  • 2011年5月 2日 23:53

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 4月27日~28日、萩原事務局次長は3・27全国集会で参加者から寄せられて被災地支援カンパを持参して、福島を訪れました。福島県内各地の3軒の農家を訪問。集会で寄せられたカンパと採れたての野菜や筍、さらにはともに闘う農家からの米を届けました。訪れた先々で、反原発の話や農業問題を止めどなく語り合いました。
 私たちは、被災地の農家を通して、農家が農家を支援する形で被災地支援をおこない、運動を作っていきたいと考えています。
 

 最初に訪れた農家では、4、5日前に作付け規制が解かれ、田んぼと果樹(梨の受粉)作業が重なって大変忙しい中、畑から戻っていただき話をしました。
 3月中は燃料が手に入らず、車の移動やトラクターでの作業も困難だったとのこと。米以外の食糧を手に入れるのが難しく、更に昨年収穫して貯蔵してある梨、リンゴが風評被害で出荷出来なくなるなどの被害を受けていました。
 現在は農作業も出来るようになったけど、風評の影響や原発の状況いかんでは、収穫しても出荷出来るのかどうか全く見通しが立たない不安と怒りのなかでの生活だ、と訴えていました。最近では「菜の花プロジェクト」(チェルノブイリの現状を調査している団体)の協力を得て、土壌調査などに60名程の農家が参加し、自力の対策に奮闘しているそうです。

 次に訪れたのが中通りの稲作と酪農を手がける農家。
 原乳の出荷規制がおこなわれ、搾乳しても出荷できない日が長く続きました。出荷できなくても、乳牛は毎日搾乳しなければなりません。「牛1頭1頭に名前があって、愛情を注いで育ててるんだよ」という言葉に悔しさと怒りがにじみ出ていました。

p110427_7.jpg 原発から60km程離れた場所ですが、それでも放射能の影響を受け4月20日まで農作業ができなかったそうです。「これから原発を止めるためには、反対同盟の闘いのような絶対反対の原則的闘いが必要なんだ。それと同じく農民の今の状況は、個々ばらばらでは殺される。団結して闘う事が必要だ」と話し合い、共に闘いをつくり出そうと誓い合いました。

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 28日には福島第一原発から35kmの浜通りの酪農家を訪れました。
 ここでも最近まで牛の出荷規制が出ていました。丹誠込めて育てた牛を解き放し、避難するしかないところまで追い詰められ、放射能の心配から子供は避難させているとか。風向きによっては飯館村と同じ状況になる(6月にかけて原発方向から浜風が吹く)不安と怒り、現実(市からヨウ素剤が配られている)と向かい合いながらの生活でした。
 メッセージにもあった「~原発に反対して村八分になった身の上にも放射能は同じく降り注ぐ~」という言葉と重なって胸に突き刺さるものでした。


 

 被災地では長く厳しい闘いが続きます。
 私たちは、多くの皆さんに協力を呼びかけて、被災地支援の運動を広げ、続けていきます。

(※下の写真2枚はいずれもいわき市の様子)

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