葉山岳夫弁護士を追悼する

三里塚勝利に生涯かけ

三里塚芝山連合空港反対同盟法対部/野戦病院
大熊寿年

 葉山岳夫弁護士が3月10日逝去された(満86歳)。かえすがえすも残念でなりません。葉山弁護士は、三里塚芝山連合空港反対同盟の顧問弁護団事務局長として三里塚闘争の当初から政府・国家権力による大弾圧や農地強奪攻撃との最前線に立ち、57年にわたって闘いぬいてこられました。三里塚闘争勝利に向けた熱い思いと正義の確信に燃えて、現地闘争に必ず駆けつけ生涯をかけて闘ってこられたかけがえのない人でした。とりわけ国策と一体となった千葉地裁にとっては大打撃となる存在でした。
現地闘争と一体
 土地強奪をめぐる裁判闘争では、「三里塚現地闘争と一体で闘うことが重要だ」と繰り返し強調されていました。そのことは、成田空港会社が市東孝雄さんの農地強奪のために2006年に起こした「明け渡し請求」裁判において、粘り強く闘いぬくことによって16年余にわたり強制執行を阻止してきた闘いに示されていると思います。
 これは「2年以内に結審するように」という「最高裁通達」を実力で粉砕した闘いでした。しかし、反対同盟が、これら民事裁判への取り組みを全力でやるようになったのは、収用委員会が解体されて以降でした。それは、民事裁判が実質上、収用委員会に代わる農地強奪裁判となったからでした。それまでは、法対部から1名から2名が傍聴に参加する程度で、全面的に弁護団に依拠するもので、先生から叱責を受けていました。
裁判所追いつめ
 今では、先生から言われた現地闘争と一体となって民事裁判を闘うことを心がけて頑張っています。裁判後の報告会で、毎回先生が「皆さんの傍聴闘争によって裁判長を追いつめています。傍聴闘争をよろしく」と述べられていたのは、以前の取り組みの弱さを意識されておられていたからだと痛感しています。
 また、刑事事件においても先生は、東峰十字路裁判で55名の統一公判をかちとる、という画期的な地平を切り開かれました。闘争日は違っていても、三里塚闘争の本質は同じだ、として千葉地裁と粘り強く闘いぬいて、収用委員会から第一次強制(行政)代執行阻止闘争までの2年間にまたがる闘争の被告三十数名の統一公判を実現させたのをはじめ、次々と数十名規模の統一公判をかちとられました。これは三里塚闘争の力を根底に据えて千葉地裁と真っ向から対決して、勝ちとられたものです。同じ法廷に55名の被告が出廷して統一公判を行ったのは全国でも初めてだと思います。
 さらに法廷内でも理不尽な対応をする検察官を怒鳴りつけられたこともありました。先生の気迫みなぎる対応は、裁判長や検察官らにも恐れられるものでした。千葉地裁における裁判闘争の歴史を画するような重大な影響を与えた存在でした。
 生前、北原鉱治事務局長が「裁判(法廷の審理)においては圧倒的に勝っている。しかし判決は国策に屈したものになる」と言っておられたように、葉山弁護士を先頭にした弁護団の闘いは確実に裁判所を追いつめました。国策を粉砕する闘いは今後の課題です。
 57年目を迎えた三里塚闘争ですが、まだ農地強奪・農民殺しとの闘いは続きます。3千名近くに及ぶ逮捕者の救援やその後の裁判闘争など三里塚闘争の勝利に執念を燃やし、生涯をかけて闘いぬかれた葉山先生の遺志を継いで、私たちは勝利の日まで闘い続けます。
 どうか今後も三里塚闘争を見守っていてください。ご冥福を祈ります。

(写真は最後の発言となった1月8日の団結旗開き)

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